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たみさん(父方の祖母)の記憶



私の父方の祖母、たみさんは、
生涯、家事をしたことがなかった明治生まれの女性。


小樽に生まれ、
嫁いだ旦那様は三井商事に勤務する青年。
時代は大正から昭和初期にかけて。



東京での暮らし。
琴と三味線の名手。


子供は5人産んで、3人は育たなかった。
「自分のお乳を飲ませた子だけが育ったのよ」
子育ても、家事も、ねえやが。
複数の使用人がいたとのこと。
その2人の子供のうちの一人が、私の父である(昭和5年生まれ)



家のことは、ねえやに任せ、
休日は家族で相撲を観戦し、銀座で食事をするのが楽しみだった。
銀座では、行きつけのお店で琴の爪を買い、
京都老舗のお店で「香のもの」を買い、
和服の袂には、いつも「誰が袖」(たがそで)の香りを漂わせていた。



2人の子供、
我が父と、その姉。
姉にはバレエを習わせ、
弟である父には慶応幼稚舎を受験させた。



この、
不自由のない暮らしは、途中で一度、途切れる。
財閥解体の煽りで、祖父は三井商事の左遷となり新潟へ「下る」
家庭の経済は苦しくなったはず。



それでも
たみさんの暮らしかたは変わらなかった。
変えなかったのかも?
しばらくして祖父が亡くなった時、
大きな借金が残り、
それを、私の父が長い間返済したと、聞いてる。



たみさんは、
新潟に移り住んでからも
その生涯の最後まで娘と暮らした。
身の回りのことはすべて娘がやっていた。
ねえやがやってた時のように。



娘は「いき遅れ」て長く独身だったけど、
そのうちお金持ちの後家さんとして結婚。
たみさんも同居。
子供には恵まれなかった。



旦那さんは手広く料亭を営んでいたので、
お金の不自由はなく、留守がちで
たみさんと娘はそれまでのように
母と娘だけの優雅な生活を維持できた。



家事は、すべて娘がやり、
たみさんは食事の用意も洗濯も掃除もしたことがなく、
だから、その手は艶やかで、肌が綺麗だった。
背が小さくてとても痩せていた。



誰かの悪口を言うことは一度もなく、
誰からも嫌われなかった。
自分を主張することが一切なく、
静かに自分の時間を過ごしていた。



私は、
就学前から小学校高学年までの間、
ピアノ教室の帰り道に、毎週、祖母たちの家に立ち寄っていた。
ピアノ教室は自宅からあまりに遠く、
日が暮れるまでに家に帰りつくことが出来なかった。
そこで教室から更にバスに乗り祖母と叔母の住む家へ。

そこで、祖母と一緒に夕飯を食べて、寝て、
夜中に父が迎えに来て「眠ったまま車に乗せて帰る」という生活。



私の週末は、いつも
叔母の家で、おばあちゃんと一緒に過ごしていた。
叔母の家にはマントルピースがあり、
西洋の綺麗なお人形がガラスの棚に並んでいた。


夕食の後には必ずメロンが出てきた。
昭和40年頃の話。一般の家庭では「本物の」メロンなど見かけなかったし
私も自分の家で食べたことは無かった。
お皿はイタリア製で、
いつも違う柄だった。


食事を用意してたのは叔母なので、
食器類も叔母の趣味だったに違いない。
私の家では「お皿」は「単色」だった。
イタリアのお皿って綺麗だなと幼いながら思った。
メロンより、
お皿が楽しみだった。



寝る前には、たみさんなりの「儀式」がたくさんあった。
まずはじめに
桐の小さな引き出しを開け、
「その年のお雛様のお道具」を私に見せること。



雛道具は、毎年更新されていて、
ある年は「小さなお人形」だったり
またある年は「小豆の入った綺麗なお手玉」だったり。
美しい雛道具の数々は、私から見ると宝箱だった。


お道具のご披露が終わると次は、
また別の良い香りのする引き出しを開け、
「今年の、あなたのお琴の爪よ」
和柄の小さな箱入れられた小さな琴の爪。
さらに、
「今年の、あなたのお扇子よ」
良い香りの和紙に包まれた扇子。
美しかった。
爪も扇子も、毎年、少しづつ、
そのサイズが大きくなってた。



お琴も、
日舞も、
私は嗜まなかったのに、
祖母は毎年、私のための「爪」と「扇子」を新調していたのだった。



夜の儀式は更に続いた。
身体全身に、オリーブオイルを塗って
「マッサージ」
祖母の手で塗ってくれるオイルは良い香りがして、
優雅な気持ちになれた。
祖母の家で用意されている私の寝間着は、
フランス製のネグリジェだった。
手元や襟元のフリルが美しかった。
家では、
パジャマだった。
寝る前の「体操」も、あった。
柔軟体操。
「ピアノを弾く時は」
「やわらかーーく」
「やわらかーーく」と、たみさんはいつも言ってた。



今でも私は、
寝る前にアロマを焚く。
ホホバオイルを手に塗る。
ステージでピアノを弾く時に
「やわらかーく」「やわらかくよ」と耳に聞こえる時がある。
身体を柔らかく保つことは演奏にとても大事な気がしてる。



私が大学生になり、
1人で東京に出て、
初めての夏休み。
少し慣れた東京の街。
新潟に帰る前に、銀座に寄ろう。
おばあちゃんのお琴の爪を買って帰ろう。
喜ぶだろうな。
私は爪を買い、綺麗な巾着に入れてもらって、
それを大事にバッグに入れて、
上野駅から新潟行きの「特急とき」に乗った。



当時、
上野→新潟は4時間。
その4時間の間に、
祖母は心臓発作で急死した。


新潟駅に着いた時、
迎えに来ていた父から祖母の死を聞いた。
私の手にはお土産の琴の爪が入った巾着袋。
その日はとても良いお天気で、
たみさんは、近所のお友達のところへお土産を持って訪ねて行ったらしい。
その道中、
道の端の石に腰掛け、
まるで一休みしてるかのように亡くなったのだと聞いた。
和服の袂には「誰が袖」を忍ばせて。



自分に孫が出来て、
祖母のことを思い出すことがある。
私は私の身体の中に、
思うよりずっと祖母の香りが残っていることに
たまに驚くことがある。





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