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note、始めました。

今、みかん選果の短期アルバイトのため愛媛に来ている。

全国各地から集まったアルバイターがこの場所で大勢働いているのだけど、年齢層は意外にも結構高め。

同じ愛媛県からバスでやって来るおばさま方(60〜80代)はもう十年選手のベテラン勢。

そして我々他県から来る人々も
20代は少なく、なんならたぶん30代40代に負けないくらい50代以上の方も多いように思う。

そんな中やると決めて今年からやってきたけれど
思ったよりハードな労働環境に
疲れが取れず仕事になっていない人が出てきた。(らしい)

高齢の方が、なぜ今この仕事を?
と思うが、お金のためだろうとのことで
なんだかこの社会の厳しさを感じて虚しくなる。


やってみて合わなかったらやめてもいい。
でも、やってみて、合わなくても、やめちゃダメだ、とその人は思っているのだろう。

最後までやり抜くことは素晴らしい
やると決めたことをやり遂げる責任感は美しい
そう感じているのかもしれないけれど
誰でも合わないことはあるのだ。
やってみて合わなかったら、やめていい。


私たちは人それぞれ、自分の人生しか生きられない。
それぞれ持って生まれたダルマがある。

やってみて違ったなら、それはそれだけで価値ある気付きであり、間違ったという大切な経験になる。
でも、それを続けていくことは自分自身の大切な時間を奪うことになる。

誰かが楽しそうにイキイキとやっていて
お金も自由も人との繋がりも生きがいもすべて手に入れているように見えるようなことでも、
他の人がその人と同じことをしたとして
同じようにそれらが手に入るわけではないのだ。

「自己のダルマの遂行は、不完全でも、
良く遂行された他者のダルマに勝る。
自己のダルマに死ぬことは幸せである。
他者のダルマを行うことは危険である。」
(バガヴァッド・ギーター3章35節)


もしも今そこに悦びがないのなら
辛い、苦しい、虚しい、悲しい、だるい
それらの感情だけだったとしたら
もしくは感情さえもないのだとしたら
それはあなたのすべき行為ではない。


私はヨガ哲学をお伝えさせてもらったりしているけれど
それはヨガ哲学が私を生きづらさから解放してくれたからだ。

インドで学んだ生きる技術としてのヨガを
生きづらさを感じている人に伝えていくことで
より良い世界になるための
私たち人間だけでなく生きとし生けるものが生きやすくなる
ほんの僅かな微力でもなれたら嬉しいと思ったからだ。


それが、今年に入ってから、ヨガ哲学を伝えていく仕事に気が乗らなくなってきていた、というか売り出すことができなくなっていた。

それは仕事として、お金を稼ぐ手段の一つとして考えてしまっていたからだと思う。

そしてもう一つ。
ここ最近、私の周りに生きづらさを感じている人が少なくなったような気がする
もしくは、生きづらさ自体が小さくなっているように感じていた。

だから仕事もプライベートも関係なく
ヨガ哲学を伝える機会自体が減っていたし
伝えていく必要性もあまり感じることがなかったけれど

ここに来て、久しぶりに生きづらさを感じている人を見た。

残念ながら、生きづらさを抱えている人は
自分が生きづらさを感じていることに気付いていない

というより、
「生きやすく生きている自分」を知らない
もしくは忘れている。

意識的に生きていないと、簡単に通り過ぎてしまう
自分が本当は何を望み、何を望んでいないのか、わからなくなってしまう


あの人は自分の呼吸を意識したことがあるだろうか。

息を吸う度に地球からエネルギーをいただき
息を吐く度に地球に受け入れてもらっていることを
感じたことはあるだろうか。

意識一つで
その一瞬一瞬に悦びを感じられる
感謝が自分の奥の方から湧き出るようにやってくる。

外から何かを受け取る喜びではなく
すでに在る、ことに、気付く、悦び。

その悦びを体験したら
お金だけではない、
自分のための生き方を
きっと選択できるだろう。


きっと無意識的に生きている人
生きづらさを抱えて生きている人は
まだまだたくさんいるのだと思う。
そうでない人よりも、きっと多くいるのだと思う。


外に動いてみて(現状を打破して愛媛へやってきて)
改めてそのことに気付かされた。
この悲しい現実も、私にとっては気付きとして一つの悦びでもある。

やっぱりヨガ哲学を伝えていきたいと思った。
ヨガ哲学って言ってるけど、そこから得た自分の気付きや学びのシェア。
きっとそれだけでしかない。



今回はその人に私ができることは無さそうで
傍観することしかできないけれど。
(私はポジション的にその人と関わることはなく、同じ宿舎のメンバーからその様子を聞いただけだから)

それもまた、私の役割の範囲外だったのだと思う。



その人の話を聞いてから、
目の前を流れていくみかんを選果しながら
こんなに考えてしまっていた。

そして自分の中に生まれてくるこの言葉たちを
記録として残しておこうと思った。

これも、気付きのシェアになったらいいな、なんて思いながら

note、始めました。

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