見出し画像

ガヤトリーマントラ

インドで受けたヨガのTTでは、毎日朝と夕方にアーサナのクラスがあり、いつも8つのマントラを唱えてスタートし、クラスの終わりはマントラを1つ唱えた。

RYT200の時、私はマントラを積極的に覚えにいったので
試験の時には何も見ずに唱えられるようになっていた
それくらいマントラを唱えることは好きな方だった。

それが、声の出し方が悪いのか、朝だからか
TT後これまで自分の練習時は8つ唱えると最後には喉が痛くなるため、何か1つ、と決めて唱えるようになった。

はじめのうちは覚えた8つの中からその日の気分で選んでいたけれど、今は教わらなかったガヤトリーマントラを唱えている。

教わっていないので、できるだけ発音を間違わないように
サイババのマントラを聴き、反復できるyoutubeを流して唱えている。


ガヤトリーマントラは最高・最強のマントラと言われているけれど、その効果は調べれば色々出てくるけれど、実際のところはわからない。

ガヤトリーマントラを選んだ理由も
ただ私自身が太陽が好きで
毎日太陽を見ると感謝せずにはいられず
太陽という神を瞑想し
太陽のその在り方に憧れと尊敬、畏敬の念を抱いているから
太陽神サヴィトリへの賛歌、ただそれだけである。



今いる宿舎は、小さな古民家で
物音がダダ漏れてしまい、私が起きる時間はまだ寝てる人もいるため
部屋でマントラは唱えられない。

そのため休みの日は海まで出てそこに座り、
地、水、火、風、空
五大元素を全身に感じながら
それらに感謝し
それらと同じ元素でできている自分の体を愛おしく思いながら
身体が自然に溶け込んでいくのを感じながら
サヴィトリへの賛歌を歌う。


仕事の日はみかんを選果しながら
Deva Premalさんのガヤトリーマントラを
機械音にかき消されながら歌う。

選果しながらなので108回ぴったり言えているか定かではないけれど、なんとなく108回を数えながら。
大体30分くらいで終わっているんじゃないかと思う。
選果しながらだともう終わってしまった、と感じる。



先日、アルバイターの一人が、「財布を無くしたかもしれない」と言ってきた。
財布が入ったポーチをレーンに落としてしまったらしい。
レーンに落としてしまうと、みかんと同じダンボールに入るか、ダンボールと流れるか、全くわからない。

その人が私に言ってきた理由は、私がマントラを唱えていることを知っていたからだ。

「無くしものが見つかるマントラってないですか?」と。

私は「ないよ笑」と言ったけれど、
「ガヤトリーマントラがそうっぽい」と言われ
調べてみると確かにヒットしたので
その後、次の休憩までの2時間、その人の元にポーチが戻るようにと祈りを込めながら
みかんを選果しながら
ガヤトリーマントラを歌い続けた。


すると途中で、「彼女に必要なものが届けられます」と聴こえたので
財布が必要であれば財布が戻ってくるし
必要なければ違う何かがその人に与えられるのだろうと思った。

歌い続けていると、その人がポーチを持って嬉しそうにしている様子がポンッと浮かんで見えた。

「あ、ちゃんと財布が戻るんだね、必要だったんだね、よかったね」と安心しながら
その後は「彼女はあなた(神様)に感謝します」と
彼女が神様に感謝するように祈りを込めて歌った。

最後の方は私から彼女の声でガヤトリーマントラが聴こえてくるようだった。



次の休憩の時間、休憩室に行ったら
彼女が嬉しそうにポーチを持ってこちらへ来て

「ありました!もしかして唱えてくれたんですか?」

「うん、よかったですね」

「何かお礼をしたいんですけど」と言われたので
ガヤトリーマントラを覚えるようにお願いした笑

さすがに空気のよろしくない場所で2時間歌い続けたら喉が痛くなった。
神様への感謝の気持ちも込めて自分で唱えられるようになってくれたら嬉しい。



ガヤトリーマントラの効果はわからない。
ただ、ハッキリと想像した祈りは届けられるのだと、私はそう思っている。


そして、私はマントラを歌っただけであり
私にマントラを歌わせたのも、神である。

手元に無くしものを届けてくれたのは
ダンボール側で作業していたお兄さんで
そのお兄さんはずっと探してくれていたらしい

そしてまたそのお兄さんを動かしたのも
お兄さんに財布が入ったポーチを見つけさせたのも、神様なのだ。

と、私は思っている。



私たちは何かしてもらった時、
それをしてくれた相手にお礼をしようとする。
間違ってない。
ただ、優しさは巡るものだ。

私やお兄さんが彼女に優しさを分けることができたのは、私たちが誰かから優しさというエネルギーを受け取っていたからだ。

私たちが渡した優しさのエネルギーを
次は彼女が誰かに渡してくれることを願う。

私たちに返してくれなくてもいいのだ。



そして私たちは、他者に何かしてあげれた時
何か人より優れたことをできた時
それを自分の手柄だと思ったり、自分を驕ったり、慢心したりすることがある。

慢心は少し危険だ。
他者を下に見たり、比べて見たり、ニュートラルなマインドでいられなくなるから。


“この世において常に、与える側の人になりなさい。
すべてを与え、見返りは何も求めてはいけない。
愛を与え、人の助けとなり、奉仕をし、自分のできる限りのことは何でも与えなさい。
条件付けをしてはいけない。そうすれば何にも欺かれないだろう。
神がわれわれにするように、自己の報酬は他者に分け与えようではないか。”

ーSwami Vivekananda




ヨガにイーシュワラプラニダーナという教えがある。

神に献身し、神に委ねる。

自分の意思や行動を神様に捧げることで、
エゴを取り除いていく。


私は、自分のできた良い行いは、神様がさせてくれたものだと思うようにしている。
そして、悪い行いは自分のエゴがしたことだと。

ヨガの教えだから、というよりも、
そう思うことで、エゴを小さくし、良いエネルギーが循環する気がしているから、そう考えて生活している。


自分に合ったやり方で
自分が心地良い考え方で
腹に落としながら、自分のものにしていく。

ヨガ哲学の実践は、楽しい。


マントラの力は、神聖で、美しい。


ここに来てまたこの感覚になれたことが、嬉しい。

ここに来ると決めたことも、
来たことも、すべてさせてもらっているのだと
感謝して今日も生きる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?