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未来は、常に過去の形を変えているんです | マチネの終わりに

「過去は全て最善なり」とは誰の言葉だったのか
Google先生に聞いても、その出典は教えてもらえなかった。
この世は名言で溢れているし、どこかで聞いたものを私なりに勝手に切り貼りしてしまったものかもしれないが、名言って概ねそういうものでしょうと思うことにする。

これは「起こってしまったことは取り返しがつかないからなんでもいいでしょ、いえーい」ではなく「自分が踏みしめてきた足跡ならば、全て正しい。正しくできる。そして常に最善と思える道を歩むべし。」という意味が込められた言葉。そのように、勝手に私は解釈している。

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先日公開された「マチネの終わりに」という映画を見た。

アナザースカイに出演していた石田ゆり子さんに感銘を受けて、こんな微笑み溢れる素敵な歳の重ね方をしていきたいと心から思ったし、石田ゆり子さんが「素敵な靴が素敵な場所に連れて言ってくれる」と言っていたから週末には靴を買いに行こうとショッピングに行ったし(お気に入りに出会えず購入には至らなかった)、公開直後に「マチネの終わりに」を見に行くことを決めた。至極単純である。

そんな決意を胸に映画を鑑賞してきたので、感動冷めやらぬうちにnoteにしたためる。インプットはアウトプットなくしては意味をなさない。多分これは上司が言っていた言葉だ。

一言では言い表せないけれど、努力してまとめようとするのであれば
繊細で脆くて、文学的で、どこを切り取っても写真集が出来上がってしまうような美しい、そしてほろ苦い映画だった。原作の世界観を再現するために全編フィルムカメラで撮影しているそうな。

映画の中で印象的な台詞があった。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。
変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で感じやすいものじゃないですか?

未来は、常に過去を変えられる。

「過去は変えられないけど、未来は変えられる!」「未来を掴もう!」という言葉は社会に広く溢れているのに、「未来が過去を変えられる」という主体と客体が入れ替わったものが、一見どこか不思議な言葉に思えるのはなんでだろう。

例えば、お気に入りのリップがどこかに行ってしまうこと。
例えば、待ち遠しく思っていた旅行の当日が土砂降りの雨だったこと。
例えば、予想外のことが起きて仕事が思うように進まなかったこと。
例えば、大切だった誰かとお別れを選ぶこと。

大なり小なり、生きていれば色々あるし、
経験してしまうとそのどれもが自分の過去として刻み込まれる。

過去に起きた出来事は、事象としては確かに存在しているので変えることはできないし、その全てを「でも意味のあることだったよね」と抱きしめるのは難しい。嫌なことが起きればイライラだってするし、悲しくもなる。

だけど、出来事に対する意味づけは常に未来が変えることができる。
という考えをお守り代わりに持っておけば、ちょっとだけ息がしやすくなる。
魔法みたいに生き易くはならないかもしれないけれど、ちょっとだけ、息がしやすくなるのだ。

そういえば、人が未来を思い描く時と、過去を思い出す時の脳内の回路は同じような電気信号を発しているそうな。

未来と過去は、密接に繋がっている。未来は過去で、過去は未来。
自分次第で過去と未来を自由自在に行き来できるなんて考えると、ちょっとロマンティックじゃないですか。

未来が過去を変えるなら、「私の過去は全て最善だよ」と胸を張って言えるような、愛すべき未来を選んで行けたらいいな。

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