Lasting…

夏と冬が恋の季節ならば間に挟まれた秋こそが失恋の季節だろうか?

何か無性に物悲しく、感傷的になってしまうのはそのせいだろうか?

秋は始まりの感じがしない。終わりの感じもしない。夏と冬の対極の色を繋げるためのグラデーションの部分という感じだ。

終わっていく心地がしない。

どっちつかずの態度を取って、気付けばいなくなっているものだ。



そして私もめでたくこの秋に強制的に失恋をさせられた。

もちろん欅坂46のことである。

亡霊(笑)のように未だにその辺を漂い続けている。

そして中毒者のように彼女たちが残していった失恋ソングを耳に流し込むことだけが、感覚のすり抜けてしまいそうな亡霊が嫌でも秋に触れられる唯一の方法となっている。

冷淡で凛とした姿勢の中に滲む哀愁を、軽やかに、重たく、表現する彼女達がまた好きだった。

失恋を含んだ幾つかの曲の中から、最近特によく聴いている三つをあえてここで一口ずつ味わいたい。



『ボブディランは返さない』(世界には愛しかない)

我らがゆいちゃんずの曲。哀愁が凄い。それが似合ってしまうのもまたゆいちゃんずなのである。

思いっきり切なくて渋いイントロからの、『黄昏色の冷めてる紅茶 大好きなのに手もつけられない』…こんな始まり。まだ相手もちゃんと登場していないのに絶対にフラれている。きっと主人公の女の子が別れ話を切り出された直後の視点なのだ。狭い喫茶店で俯いて、自分の頼んだ紅茶の水面をただぼんやり見つめることしかできない。

歌詞中には心の中ではまだまだ諦めることのできない熱が伺えるが、その度にこの『冷めてる紅茶』への視点に引き戻される。『飲んでしまえば楽になれるのに』…こんな終わり。辛いのに風情がある。

個人的に好きなポイントは『傷つけるひどいこと言ってください』からの『学生街のこの店に』~『ドアを開けるでしょうか?』のところ。ずみこもゆいぽんも歌い方が曲調にマッチし過ぎ。しゃくり上げっていうの?それもあるし単純に声質も切なさにぴったりだし。歌声だけで一気に感情が溢れ出してくる感じが伝わってくる。

基本男目線の秋元康作詞だけどこれは女目線。きっとこんだけ未練あっても顔や声には出さないんだろうな。少し哀しそうな目でふっと笑って頷いて終わり。乾いてる。涙なんてこんな場所では流さないんだきっと。多分きっと。



『東京タワーはどこから見える?』(真っ白なものは汚したくなる)

皆大好きメンバー全員センターローテーション曲。

パフォーマンスで言うとこの一曲の中でメンバーが一人ずつ交代でセンターを務めていくような振り付けになっているのだが、そんな楽しそうな演出をしているとは思えないほど曲の内容は結構冷酷で性格の悪いものになっている。明らかに一つの恋を失っているにも関わらず、あくまで主人公は冷静で、それが逆に失恋の悲哀や全員センターのエモさを助長しているとも言える。誰もこれと言って派手な表情はしていない、なのに、何故こんなにも辛さを感じるのだろう。

『愛は流されやすく気まぐれで勝手なもの 寂しさが溢れるからそばにいて欲しいよ 都合いいかな』

都合いいよ!!!!

でもこれがリアル。恋を終わらせた後だから恋愛のドロドロした所とか暗くて嫌な部分も平気で言葉にできるのだろう。この主人公だけが性格が歪んでいて思っていることでもない、どこかで誰しもが思っているけど、キラキラした恋愛を追い求めて気付かないようにしているものだ。そう、本当はこの主人公にだって理想形ぐらいあるはずで。

『記憶の断片を真実より美しく補正して そんなこともあったといつの日か語りたい』

いや、やってることだけで言えば恐らく最低。円満に別れた感じでもないだろうし、相手のことも無視して勝手に美しい思い出に変えようとしている。

でもこれがリアル(2回目)。その後に続く『残酷なくらいありのままの現実を見せようか?悲しくなる』も「ほら辛いでしょ?だった美化した方が楽でしょ?」みたいな開き直りの態度も最低なんだけどそれを淡々と歌いこなす欅ちゃんクソ好き。ほら、どこか諦めた顔してる。

それから『自分で何度も書き直した思い出が切なくて… いつの間にか偽りはどこかがわからなくなってしまった』という部分で、とうとう自分自身すら憐れんで軽蔑している感じも良い。本当は自分が悪いことくらい分かってんだよな。

欅亡霊となってしまった今、かなり縋り付きたくなる曲。



『コンセントレーション』(永遠より長い一瞬)

欅坂が活動を辞めることを発表してから、実際に最後の活動となるラストライブまでの間に解禁された曲で、本当であれば幻の9thシングルのカップリングになる予定だったと思われるもの。歌唱メンバーも幻の9thの表題となるはずだった『10月のプールに飛び込んだ』の選抜に入らなかった面々となっている。

前の二曲に比べると歌詞に具体的な状況や重さはそこまでなく、曲調もすっと馴染んでくるような綺麗さがある。歌唱メンバーも声に明るさや可愛さのある人が多いから全体的にふわっとした柔らかい雰囲気も感じる。

ただこれが、一番つらいのだ。

この歌詞は色んな角度から想像できてしまって、秋元康から選抜外メンバーへの言葉にも見えるし、それぞれのメンバーのファンから彼女達への気持ちにも見えるし、彼女達自身が歌うことで本人達が表題選抜に入れなかったことへの悔しさにも見えてくる。更に解禁されたタイミングも相まって、欅坂そのものへの様々なやるせない後悔の念にも見えたり、私の推しだったなーこちゃんやラストライブに参加することなく去ってしまった虹花といった卒業メンへの未練(音源に声は入っているのにパフォーマンスを見ることは叶わなかった、とか)にも見える。

具体的じゃなかったからこそ余計に抽象的な後悔だけが引き立ってしまって、捉え方次第でどうとでも聴こえるのがこの曲なのである。

『ねえどこで違った?何が違った?僕たちの恋は』

どこから違くなっちゃったんだろ、まじで。ねぇ?

『そう大好きなんだ 大切なんだ 変わるわけないだろう ほらこんなに僕は落ち込んで泣いているし…』

ここ、相手じゃなくて自分に言い聞かせてるみたいだ。何の証明にもならないだろうか。

『コンセントレーション 愛は集中力のことだ』

愛を万物に形容してきた作詞家・秋元康、ここでは『集中力』としている。

『こんなことで終わりなんて馬鹿馬鹿しい』『もうチャンスはないの?未来はないの?』『夢の続き失いたくないよ』…二番の各所では欅坂のことを彷彿とさせてくるこの言葉たち。もうやめて、欅亡霊のライフはゼロよ。(亡霊だからな)

そして、私がなんとなく好きな部分で『呼吸すら忘れてしまうから胸が苦しくなるんだよ』という歌詞がある。一生懸命頑張れば頑張るほど苦しそうになっていく欅ちゃんのことも考えちゃうし、単純に胸がいっぱいになる現象は恋愛に限らず何かに夢中になっているからと教えているような所が好きだ。「辛いならちゃんと呼吸をしなきゃ」でもあるし「息が詰まるくらい集中してしまいたい」でもある。それも捉え方次第だ。

とにかく、『もうチャンスはない』と判明している相手を思いながら聴くには少しばかり残酷な内容となっている。



こうした曲達も恐らくこの先で新しくパフォーマンスをお目にかかることは無いだろうし、でもそれがむしろ、今となっては一入曲にのめり込める要因となっている気もするし。

分からないものだ。既に終了していた方が安心できるというものか。痛みの峠を越えればその先はずっと楽になれるのか。

甘美は初めて舌に触れた時から強く印象を付けてあっという間に溶けて終わる。

後は終わらない、いつから始まったかも分からない小さな苦味が、永続的に残っていくだけか。

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