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ネガティブをすぐポジティブ変換する危うさについて

何か嫌なことが起きたとき、自分の感情がネガティブになった時、「こんな状態じゃいけない、もっとプラス思考にならなきゃ、もっと前向きに考えなきゃ!」と、わかっているけどそんなに簡単にいかない、そう考えること自体がシンドイことはないだろうか?

「ホント、あなたはポジティブだよね。羨ましいなぁ」とよく言われる人は、「いや、自分だって悩み事はあるし、四六時中楽天家でいるわけじゃないよ」と内心思うことはないだろうか?
ポジティブに見える人にはまるでネガティブのバロメーター自体が存在していないように見えるが、そんなはずはない。誰しも両方のバロメーターをもっている。

わたしは、日頃からポジティブやネガティブ、長所や短所について深くハマって考える傾向にあるのだけど、ポジティブとネガティブのバロメーターは短絡的な綱引きではないと思っている。

ネガティブが無くなると比例してポジティブが増えたり、ネガティブが増えると比例してポジティブが減ったりするものではない、という感じ。ポジティブとネガティブはそれぞれ独立していて、お互いに影響は受けるけど直接的な増減に関与はしていない、と私は思っている。

「常に明るく前向きに」という言葉があるが、イコール、ポジティブだけを伸ばすことだと思わないようにする解釈が必要だと思う。プラス思考でいることの重要さに異論はないし、「ピンチはチャンス!」という言葉に勇気づけられることもある。だけど、ネガティブな感情を短絡的にポジティブ変換することは危ういし、時に人を焦らせるし、自己肯定感が下がる要因になると思う。

例えば些細なことだけど、オットがずっと前から楽しみにしていたテレビ番組を観ようとしたら、テレビが壊れてしまって見ることができなかったとする。ガッカリしているオットに対して「ほら、これはテレビを買い換えるいいチャンスかも!」とか「せっかくだから一緒にPCでNetflix観ようよ♪」とか「落ち込んでもテレビは直らないのだからせめて今は明るくいようよ〜♪」と言ったところでオットのネガティブ状態はすんなりとポジティブに変換されるだろうか?

なんでもかんでもネガティブな要素をすぐポジティブに置き換えたところですんなり腹落ちして変換できるものには種類と限度があるのでは、と思う。

ネガティブ思考のバロメーターを下げること、ポジティブ思考のバロメーターを上げることは別々の動きで成り立っていて、別々のアプローチ方法が必要と思う。順番として、まずはネガティブな気持ちに共感して寄り添うことで、ネガティブなバロメーターの数値を減らしていくことが必要だ(この時点でポジティブのバロメーターは上がらない)。思いやり、寄り添い、共感、傾聴などを通じてネガティブバロメーターをゼロにした方が、ポジティブバロメーターが上向きに動く原動力になるので、そこで初めてポジティブバロメーターをどう上げていくか、という段階を丁寧につくる必要がある。

ポジティブで居ることは、ネガティブバロメーターが無いかのように見せ、自分のマイナス感情にフタをして、ポジティブに変身させる伸ことだけに集中して生きることではない。
見て見ぬ振りをしていると、マイナスバロメーターに対して鈍感になっていき、いつか異常値になってしまう。

こんな時だからこそ「明るく前向きに」という言葉が飛び交うこともあるけれど、その言葉の持つ危うさを認識した上で、ポジティブな生き方とはどうあることなのか、真摯に考えて実践していきたいなぁと思う。






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