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年が越せそう

「ああ、なんだかこのまま年が越せそう」
と思うことがたまにある。思うだけでなく、その瞬間結構な確率で口に出している。
そうすると案外、その場にいる人に「確かに!」とか「わかる〜」とか言ってもらえる。
その同意が社交辞令的なものでなくて、心から発せられたものに感じられることがほとんどな気がしていて、わたしは嬉しい。

上半期にそう思うことはなかなかないのだけど、1年も後半に差し掛かるといくつかの場面でそう思う。

条件は多分、人がたくさん集まっていて、美味しいお酒や食事があって、できることなら生演奏で音楽が鳴っていることだ。

2022年は9月上旬に早くもそう思っていたようだ。ちょっと早すぎる。写真を見るとノースリーブのワンピースを着ている。南半球か。
そこから日記や記憶を遡る限り、多分5回くらい思った。何かパーティー的なものの度にそう思うとは限らず、うまく説明できないのだが、みんなの「熱すぎない適温のパッション」みたいなのが一体となって、この空間だけ世間より先に来年に行けるんじゃないかという気持ちになるのだ。

そんなことはもちろん起こるはずないのだけど、もし実現したらたまらなく愉快…と、ちょっと想像してみる。

グラスが交わされる。食事を心ゆくまで頬張る。生演奏の音のうねりがヒートアップしていく。途切れることのない会話がある。みんな笑っている。幸せでほかほかした空気があたりを満たしていて、みんなの頬はほんのりと上気している。そんな条件が勢揃いした時に、時空がグルンとひっくり返るようにして、「今年」という線をみんなで飛び越えて、「来年」の領域に入るのだ。

なんともおめでたそうである!

なんていうふうに、わたしたちは世間を先取りして年を越すことはないだろう。でもこの「年が越せそう」という感覚がわたしは大好きだ。
たぶん実際は越年云々の話じゃなくて、「みんなが集まって、のんびりと、平和そうに、あったまっている」という年末特有の感じがたまらなく好きなんだと思う。そこにあるのはスペシャルすぎない祝祭感。年末は一年に一度しかないけれど、「年が越せそう」と思う素敵なあつまりを催すことは何度だってしていいんだ、と思う。

おわり。


★最近、少しテイストを変えて、こっちで書いてます!
https://note.com/barley_wheat


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