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人生で大切なことは、大体オリンピックが教えてくれた(仮)〜序章〜

オリンピックなんて無くてもイイんだ。

だからと言って、数年に一度の平和の祭典を無くそうというプラカードを持つつもりは全くない。寧ろテレビで放映していれば観るかもしれない。釘付けになることも、金メダルのシーンで感動する可能性も大いにあり得る。

でも私の人生においてオリンピックは必要ないんだ。

中学高校と部活に属してもスポーツに打ち込むことはなく、今もたまの休みに身体を動かすことすら億劫な人間だ。お気に入りの野球チームが調子のよい春の頃に、ビールを飲みながら観戦するのが関の山な人生なのだ。こんな私にとってオリンピックは無くても構わない。それは仕様がないことなんだ。

でも、私以外の人にとってどうなのかは知らない。たとえば幼少期からスポーツに打ち込み、家族や周囲の人々が期待を寄せる人生を送ってきた人たち。学校や会社の仲間もいる。オリンピックおじさんの意思を次ぐものだっているだろう。彼らにとってオリンピックは間違いなく必要だ。私が酒を飲み美味しいものを食べ、ぶくぶくと太り続けている間に努力をしている人がいる。だからプラカードなんて持てるはずがない。

私は音楽が好きだ。国もジャンルも越えて聴く。踊る。恥ずかしながら、学生時代は自らのバンドが最強だと思っていた。寝る間を惜しんで練習した。だから音が鳴らない人生なんてあり得ない。ヒットチャートを舐める程度の人にとっては、Spotifyがあれば済むだろう。音楽に興味がない人にとって、フジロックなんて必要ないはずだ。それは漫画、アニメ、映画。お酒だってラーメンだってそうなんだ。

カルチャーに貴賎はなく、何が上でも下でもない。無論、新しいものが偉くも、古いものが立派でもない。そこにあるのは個の価値観。知った顔でマウントを取る由縁はどこにも無い。

誰かにとって不必要なものは、誰かにとって必要なもの。そして誰かにとって必要なものは、意外にもこの世の中では果てしなく小さなものだ。

そもそも世にある要素で万人が必要とするものなんて、空気くらいなものだろう。水ですらアレルギーとなる人がいる世の中だ。

自分だけの価値観でだけ物ごとを見るのを辞めよう。こんな簡単なことを東京オリンピックが教えてくれた。(犯罪や暴力を除いて)この世に必要ないものなんて、恐らくありはしないんだ。

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