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カキフライについて書けば、自分について書いたことになるらしい

創作というのは己の中に眠る狂気の解放だ。
例えばそれが文章だろうが、絵画だろうが、写真だろうが、動画だろうが、運動だろうが、研究だろうが、あるいは単なる叫びであろうが、それらは内に秘める狂気を外に吐き出すための媒体でしかない。そういう意味で人生におけるすべての活動は創作であり、メディア・アートである。

私は音楽を用いてそれを少しずつ発散する。私にとって一番手っ取り早い方法だからだ。

中学3年生の時、家にあるギターを本格的に弾き始めた。正直言ってこれは手を出すのが非常に遅い。私の父親は彼自身が高専に通っているときからずっとギターを弾いていて、家には10本以上もギターが転がっていて、親が流す音楽はいつもザ・ビートルズで、そもそも両親の馴れ初めも音楽の趣味で意気投合したからであって、という家庭に生まれ落ちたのに、15歳になるまで手を出していないのだ。22歳も近づいた私が過去に戻れるなら、小4の自分に言うね。もうね、アホかと。馬鹿かと。今すぐリビングの隅っこのギタースタンドにかかってるアコギを手に取れと。でも何でも手に取っていいわけじゃないからね。1969年製のGibsonだったり、Martinだったりは手に取らないでね。誰か代わりに過去の俺に言っておいてくれ。多分成功したら筑波大のTim Hensonになってると思う。これは嘘。

Tim HensonはこのPolyphiaってバンドのギターの人ね。

思い出したけど中3までギター弾いてなかった理由は普通に騒音問題で近隣とトラブルになって嫌な気持ちになってたからだ。私の父親は普通に自己中心的なので、夜なのにアンプに繋いでギターを弾く。これは自慢だが父の部屋には真空管のコンボアンプが2台ある。夜に大音量鳴らされたらたまったもんじゃない。全然隣の家の住民から電話が来たり、家に怒鳴り込みに来たりしていた。その頃は父親も血気盛んであり、俺にだって自分の好きなように暮らす権利があると喚き散らしていた。頭がおかしい。ちなみにこの問題はこの件が原因ではないが隣人が家を建て替えることになって、向こうが遮音性の良い造りになったことで解決した。実質勝ちである。
ちなみに隣人も隣人で、市が管理してる隣の土地に生えているカエデの木のせいで家の雨どいが詰まると喚き散らして市の職員に切り倒させ、その後残った切株に連日細工して木が生き返らないようにしていた。お前も頭おかしいだろ。

騒音問題にも関連するが、私の両親は私が幼いころよく喧嘩をしていた。子供の前だろうが出先だろうが所かまわず口喧嘩をしていた。先ほども書いたがその頃の父は血気盛んだったため、直接母を殴ったりはなかったのだが、癇癪を起こして風呂場の扉を破壊したり、食事中にブチギレて茶碗や皿を投げたり、と言ったことがたまにあった。父が母に殴りかかろうとしていたところに同居している祖母(父の母)が飛んできて必死に取り押さえたりしたこともあった。父の、母に対する「出て行け」という叫び声を聞きながら私は2階のトイレに閉じこもって震えていた。母が料理中に口論になった時、限界を迎えた母は「もう切るからね」と叫びながら手首に包丁を押し当てていた。ある時は「子供が20を超えて自立したら離婚しよう」と話していた。こんな家庭に生まれると希死念慮マシマシの精神不安定人間が誕生します。みんなはこんなことしないでね。

当時は母の側によくついていて、母の言う「父は被害妄想が酷い」などという話に同意していて、口を出したりはしなかったが父を糾弾する立場でいた。今でも、頻度はだいぶ減ったが、両親の喧嘩はある。不思議なことに、今聞くと、どのように聞いても母がずっと少しずつズレた発言をしているのだ。現在は姉も私も父の方が一般的な感覚がある人だという立場になっている。父は「お前らに気づかれる前にあのズレを直させたかったけど、無理だった」と言っていた。両親の喧嘩の件は書きながら泣きそうになってきたのでここまでにしておく。

音楽を用いて発散するのは、音楽を聞くのもそうだし、好きなアーティストの曲をコピーしたり、生き様を真似したり、曲を作ってみたりとかいうそういうことだ。作曲はずっと興味があるがハードルが高くてまだ手を出しかけているくらいのまま立ち止まっている。手元には常にギターがあり、親父にお古のオーディオインターフェースも貰い、無料のだけれどもDAWもPCには入れている。マジで後は始めるだけなのにやってない。いうなればアパートを契約したのに引っ越し作業をやってないみたいなもんだ。早くやれ。

曲はずっと作ろうと思ってる。ヤバイTシャツ屋さんのコピバンを高校生の頃やっていて、その頃から「盛り上がれば歌詞の内容はいらない、むしろ無意味な方がいい」と思うようになった。これに関しては今も思っている部分はある。だから中身のない歌詞をジャパニーズ・メロコアに乗せて俺も大盛り上がりしたいと思っている。つまりはヤバTのパクリ。
私は洋楽を好んで聞くが歌詞の意味はだいたい知らない。それでもかっこいいと思える。世の中には楽器だけの曲は数あれど、伴奏も何もない純粋は歌だけの曲はそれに比べると少ない。歌詞ってなくていいと思う。声も1つの楽器として扱ってほしいというのが個人的な趣向だ。
ちなみにヤバTの曲で一番共感した歌詞は

パリピ パリピ 俺も混ぜてくれ 酒飲めへんし 踊れへんけど

「あつまれ!パーティーピーポー」 - ヤバイTシャツ屋さん より

である。

作曲もそうだし文章を書いたりとか全ての創作においてもそうだと思うけど、自分が作ったものを人に見せるの凄く恥ずかしいよね。これはもちろん「恥ずべき行為だ」という意味じゃなくて「恥ずかしい気持ちになる」という意味だ。
これは何も中身のあることを書こうと思うからであって、中身がなければ恥ずかしいとかもない、というのが1つの答えであり上の話にも繋がってくる。だからこの文章も恥ずかしくない。中身が無いし考えてる順に書き溢しているだけだから。官能小説を書くとかになったら話は別だろう。ごめん、これは別の恥ずかしさが絡んでくるから良くない例だった。

もう1つの答えとして、中身のあることを書いておいて他の要素で目立たなくするという手法もあると思う。だから、作曲について考え始めたときに真っ先に思いついたのが、「自分で書いた歌って恥ずかしい」という歌詞だけの曲で、楽器で轟音をかき鳴らして歌を聞こえなくするという奴だ。これに関しては僕がシューゲイズをやりたいだけなのも大きく含まれている。

音楽の趣味が大学に入ってから本当に広がった。聞く音楽のジャンルもアーティストも増えた。
自分で探して自然と聞き始めた音楽は、Skrillex、Daft Punk、RADWIMPSの3つくらいである。ギターを弾き始めたころ、父親の棚からCDを漁り、AC/DC、Led Zeppelin、Stevie Ray Vaughanとかを聞いていたが、それは若干の義務感を感じながらであった。オタクなのでまじ娘という歌い手(現在はmajikoとしてメジャーでやっている)が好きだが、それは中学の時好きだった人がこの歌い手が好きだと言っていたから聞いただけだ。自分で自然に、という文脈では先の3つだけだと思う。てかSkrillexとかDaft Punkとか聞いてたのによくEDMキッズにならなかったな。当時はダブステップいっぱい聞いてたよ。

神曲すぎ。

となるとRADWIMPSだけあまりにも外れ値なんだけど、これは「君の名は。」が原因である。それ以前からRADWIMPSのことは知っていたんだけど、「へっくしゅん」という曲しか知らなかった。「お前なんかティッシュと共に眠る精子もろとも死んじまえ」みたいな歌だ。普通に訳わかんなくて1,2回聞いて止まってた。でもそこで君の名は。が来て、朝飯食べながらZIP!見てたら前前前世が流れて、RADWIMPSと書いてあって、「あのバンドこんな綺麗な曲も書けるの!?」と衝撃を受けた。そこからはRADWIMPS激ハマり。YouTubeの違法アップロードでいっぱい聞いた。当時はSpotifyとかなかったから(あったかもしんないけど中2とかだったので持ってるわけない)。どっかの誰かが作った「揶揄」の自主製作MVがあるんだけど、あれ本家だと思ってた。今見ても普通にクオリティ高いから見てほしい。

RADWIMPSだけは自分から聞いたんだけど、それ以外の邦ロックは聞きに行かなかった。それで他に聞く音楽はダブステップ、エレクトロニカ、ハードロック、ブルースでしょ。そうなると変に尖るので邦ロックを毛嫌いし始めた。歌詞が聞き取れて意味が分かるのが嫌に感じてきた。ちなみにこれは今でも克服し切ってはいない。最近は収まってきてたけど、ねぐせ。の「ずっと好きだから」を聞いた時は流石に「売れ線の浅い邦ロック(笑)」とか思ってしまった。当時はKANA-BOON、KEYTALK、あいみょんとか、そういうのにも思ってた。でも高校の時組んでたバンドではMrs. GREEN APPLEのStaRtとか、フレデリックのオドループとかやってた。当時は弾きながらも「ケッ!邦ロックかい!」と思ってた。今は全然大好き。逆張りは良くない。

話は戻るんだけどそんな感じだったんだが大学で入ったサークルがそういう人間が多い場所で、かつ音楽オタクの集まりだったので、好きな音楽がだいぶ増えた。Spotifyに入って曲が聞き放題になったのも原因の1つだ。これを書いている今は、Sweet Tripの「Velocity: Design: Comfort」というアルバムを聞いている。神曲しかないので是非聞いてほしい。

ジャンルで言うと、ハードロック、ブルース、ロックンロール、ヘヴィメタル、デスメタル、とかそういったものを好んでいて、気に入ったものばかり聞いてしまうタイプだったのであまり自分から深堀ったりしなかった。大学に入ってからは、メロスピ、メロデス、デスコア、メタルコア、スクリーモ、ニューメタルとかメタル系はもちろんのこと、インディーロック、ドリームポップ、シューゲイズとか、アンビエント、電子音楽とかそういうやつ、なんか急には思い出せないけどいろいろ知った。特にシューゲイズは本当に刺さってしまって、僕の脳にはシューゲイズにしか反応しない「シューゲイズ野」が新しく作られてしまった。
実は恥ずかしながらOasis、Green Day、My Chemical Romanceとかそういう王道系のも大学に入ってからちゃんと聞いた。今でも知ってるかって言うと有名曲しか聞いたことないからあれだけど。
7/7にはCorneliusを、7/9にはDeafheavenを見に行きます。金が思ったよりヤバいのだがそんなの借金すればいいだけだから。

Corneliusと言えば2020年東京オリンピックの開会式問題を思い出す。Corneliusというのは小山田圭吾によるソロ・ユニットであり、小山田圭吾と言えば東京オリンピック開会式の音楽スタッフに就任していたのだが、過去に壮絶ないじめをしていたというのが発覚して糾弾され、そのポジションを下ろされた。この騒動が原因としてNHKの「デザインあ」が放送休止になったりなどしたな(「デザインあ」の音楽は基本的に小山田圭吾が作っていた)。
当時は当該記事も軽く内容を見て、いじめをしていたという事実とその語り方に私も憤怒していたけど、今思うと軽くしか記事を見ていないし私に批判する道理はない。それにその記事自体20年以上前のものだ。そんなの引っ張ってきて叩いて何になるんだ?罪を犯したことのないものだけが石を投げろよ。

と同時に小林賢太郎の件も思い出す。アレに関しては本当に酷い話だ。
小林賢太郎は元ラーメンズで、劇作家/パフォーミングアーティストで、漫画を描いていたこともあって、という感じの方だ。コバケンは東京オリンピック開会式の演出担当に就任したのだが、これまた20年以上前のコントで「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」と発言していたのを引っ張り出されて炎上し、東京オリンピックから辞任するに至った。これは本当に酷い話で、まあ私はこの件以前からラーメンズで小林賢太郎のことを知っていてファンであるので中立的な見方ではないのは留意していただきたいのだが、まず20年以上前のコントを引っ張り出してきたのもたちが悪いし、コントの映像をちょっと見ればその発言がドギツいブラックジョークで笑いを誘うシーンであることは一目瞭然である。NHKの「できるかな」をパロディしたコントで、ノッポさんに扮した小林賢太郎が「ユダヤ人大量虐殺ごっこっつってな。『放送できるかー!!』ってめっちゃ怒られたよな」みたいな感じだった。それをさあ…それをさあ!!!!!!!!!!(ガチギレ)

この件が直接的原因ではないが、その後小林賢太郎は表舞台から姿を消し、裏方に徹することになり、事実上ラーメンズは解散、俺達は膝から崩れ落ちて涙を流すことになった。
ラーメンズとの出会いやら何やらを書くと私の高校時代を全て書くことになり、普通に人生の話になってしまうためやめておこうと思う。うん。

ちなみにこの記事のタイトルであるカキフライ論法というのは高校の現代文の教科書に載っていたものである。村上春樹の文章であったのだが、ざっくり言うと「作文が書けないという君、もしカキフライが好きなら、カキフライについて書きなさい。それが君の人生を書くことにもなるから」みたいな感じだった。村上春樹の文章はそれしか読んだことがないが、その短い文章からもやはりノーベル文学賞の候補者に毎年上がってる人は違うなと思った。そしてこの文章のIQは2だ。

思えば私の人間性や思考の基盤というものは高校時代に紆余曲折あってできたものが多い。と思う。
それ以前から一応基盤となっているのは、RADWIMPSのフロントマン野田洋次郎のエッセイを読んでめちゃめちゃに影響されて出来ていたのだが、まあ詳細は省くが高校でそれまで培ってきた人生観の全てが捻じ曲がることがたくさん起こってそれまでの基盤は破壊されて、新たな基盤ができた。多くは語りません。
1つだけ言えるのは学校のガラス戸を全身で突き破って両膝を縫うことになったりした、とかです。これは思考の基盤には何も影響してない。

今はパソコン音楽クラブの音楽を聞いている。長谷川白紙みたいな声がしたのでSpotifyを見たら本当にコラボしてる曲だった。セレンディピティってやつでしょうか。

大学に入って軽音サークルに入ってからエフェクターをちゃんと揃えるようになった。高校でも軽音部に入っていたが、たまに親のを借りたりしたくらいで自分のは持っていなかった。
思えば私の高校の軽音部は誰もエフェクターを持っていなかった。普通にこれはヤバイことです。アンプの使い方もよくわかってない人が多く、みんな雰囲気でしたね。その中では私が一番知識があったと思うのだが、コロナ禍とかもあってあまり引き継げなかった。
たまに軽音部で学内ライブみたいのをやって音を出していたのだが、その時に音がデカいとかで吹奏楽部に迷惑をかけたり、まあそもそも視聴覚室でやっていたので防音性能がカスだったりしたので、もともとはちゃんと機材を立てていたのだが、いらないだろってことで私が簡略化するようになって、大学入ってから見に行ってみたら声のマイクしか立ってなかった。これは私が後輩にそうしろって言ったからそうなってるんで私が元凶なのだが、今思うともっとデカい音出した方がいいよ。吹奏楽部員も教員も近隣住民も全員3発ずつぐらい殴ってわからせような。
本当はギター1本、ベース1本、1タムのドラム、ボーカル1人の編成でも合計で11本はマイク欲しいからね。

今母校では僕らがコロナ禍になって文化祭が消えた影響で、文化祭における軽音部の体育館ライブの技術が途絶えてしまったらしい。普通にマズい。今からでも高校に行って教えたりした方がいいのかな。それとも隣駅のライブハウスのスタッフでも金出して来てもらって教えてもらったりした方がいいよね。と思う。これに関しては、マジでどうしようかな……………と思ってます。後輩連絡くれ。もう知り合いいないけど。

そろそろ書くこともなくなってきたし、こんな時間だしという気分になってきた。風呂入って一旦寝てバイトに行こうかな。

書くこと湧いて出てきた。風呂入ってと言えば、私は結構風呂をスキップする方だ。風呂が嫌いというわけではなく、むしろ全然好きなのだが、「風呂に入る」という行動が面倒くさいと感じることが多く、全然2日くらい風呂入らないこともある。人と会う用事が出来て、これでは会えないから、となってその予定の1時間前とかに風呂に入るということが多くなってきた。サークルの人とかにバレてないといいんだけど。
これを逆に言うと、例えばあなたが僕に会ったとき、僕から悪臭がしなければ、それは僕からの「あなたに会う前には体を綺麗にしなければ、と思えるくらいの好意が僕はありますよ」という意思表示だ。僕に会う予定がある人はぜひ確認していただきたい。臭かったらごめん。

風呂入ってようが入ってなかろうが、フケというか白い粉が体中から出る。これは全身に肌荒れがあるから。
別に肌が弱い方ではありながらもアトピーではなかったんだけど、高校の時に原因不明の爛れが目の周りにできてめちゃめちゃになった。それは顔中に広がって、大学入って気づいたら全身に満遍なく広がっていた。ステロイドを塗っていないと悪化して、すぐ赤くなっては表面が乾燥してポロポロと垢というかフケというか分解した皮膚が舞うのである。これに関しては本当に困っている。痒いし。不潔に見えるし。一生ステロイドを塗り続ける生涯を送らなければならないのだろうか。セックスするときになって相手に幻滅されたらどうしようと思って嘆いている。そんな相手いないですけど。

人生は面白い方がいいに決まってる。これは議論の余地もないだろう。だから、周囲に変だと言われようが、イキリだと言われようが、私が面白いと感じたものは何でもやりたいし、みんなもやるべきだ。外でギターを弾きたいと思ったらやるべきだし、学内を歩きながら弾き語りしたいと思うならアコギを背負って歩け。シュールストレミングを食べたいと思うなら石の広場で開封して英検を受験している高校生に迷惑をかければいいし、松見池に住んでいる魚を食べたいと思うなら釣ればいい。誰だって止めない。「みんな違ってみんなどうでもいい」という言葉が僕は大好きだ。大学はワンダーランドだ。人生もワンダーアトラクションだ。だから、今この瞬間をベースに考えると良くないのかもしれないけど、人生トータルで考えると、将来振り返ったときにそれのおかげで面白かった、と思えるだろうな、と思うなら、何だって実践すべきだ。これはつまり「人生は寄りで見ると悲劇だが、引きで見れば喜劇である」というのと同じです。それを体現しろという話。私に感銘を受けたくない人は代わりにチャップリンに感銘を受けてくれ。

今のところはこんなところなんで一旦終わり。この文章は後からどんどん付け足して凄いことにしていきます。気づいたら私の人生がこの1ページに収まってる状態にしたいね。完全に自己満でした。

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