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通夜

少し高めの微熱と頭痛に一瞬怯んでしまったけれど、たんに高温期のせいだと気づいた。数時間横になると、熱はすぐ引いていく。

数日前、実家から数メートルのスーパーへ買出しに。小道に桜が散っていて、少し離れた街灯と部屋の光にうっすら照らされている。前と同じだ。思わず引き返して写真を撮りたくなった。

前というのは一年前で、一年前の春は母と暮らしていた。仕事も無期に休みをもらっていた。母は身近で看護する必要があると思ったから。直観的に、余命は僅かだと母も私も認識していた。死について率直に話すこと、感じる時間を奪わないこと、甘えていいこと。この3つが叶っていたと思う。生活の中で管理が1番の優先事項にならないこと。一緒に暮らし始めるときまず心に決まったことだった。生活はちょうど1ヶ月だった。

在宅医は、姉の時と同じ先生のことを思い出し、すぐにお願いした。懐かしく、信用できる人だった。最後の週、叶えられなかったことが一つ。それが今でもひっかかってしまう。先生に話せば...そう思っている間にもう、母はどんどん別の次元へ移っていこうとしているように見えた。それでも、叶えてあげれば良かった。                         ベッドサイドで足を下に降ろす。それがどんなに気持ちいいことか。

葬式を終えた翌日、40歳の誕生日を迎えた。母も私も解放されていた。風が気持ちいい日で、芝に横になったりした。その日母と姉に宛てて書いた言葉を包んだ紙をひらいてみる。時間を引き戻されそうになる、その手前で偲ぶ。4月に入って、そういう時間をいくらかもてた。

大好きだった志村けんの追悼番組で、志村けんは父親を亡くしたとき、駆けつけて、臨終の父を前に顔を見ずに自分の初めての番組の収録に戻ったそうだ。シャワーを浴びながらその話をふと思い出した。

母の通夜から一年。今夜は何となく起きていてしまう。

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