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人生は視野が狭くなる程ドラマチック

なぜ恋の歌が多いんだろう。
いや正確には、恋の歌の方が目立っているように感じるのは何でだろう。
ヒットし易い、共感を得易いのが恋の題材なのだろうか。


そんなことを巡らせたきっかけは、草間彌生について調べていた時のことでした。
今週のラジオで恐らく話していると思います(リンクは下記)
でもその草間彌生のエピソードでこの「恋歌は多い話」まで繋げるのは、明らかに脱線するだろうなあ、と思ったのでこっちのnoteに綴っておくことにしました。

草間彌生のエピソードを聞きたい方はこちら

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水玉の正体

さて、とはいえちょっとだけ草間彌生の話をしておきますと。
草間と言えばバチバチのカラーリングに水玉模様。ですよね。あれが誕生した背景をラジオでは話しましたが、結局水玉とは世界との同化で、自己の消滅という意図がありました。

全てが水玉で、水玉が襲ってくる世界を感じている彼女にとっては、あれは無個性だという位置付けだったのです。びっくりですよね。
だって、私たちからしたらあの水玉こそゴリゴリの個性ですし、他に類を見ない世界観でした。だけど彼女が表現したのは無個性の世界でした。
Aさんも、Bさんも、Cさんも、共通して水玉。あの木も、あの建物も、全部同じ水玉。宇宙、虚無の世界。

自己の消滅と相反するもの

私はこの「アイデンティティとは何だろう」というところに、最近凄く興味が向いています。そしてそれは「共感」と近しい位置にいる。
個性とは感情の塊みたいな存在で、無個性になると情にピントが合わなくなってくる。

昔、超成功したビジネスマンの人に「人称をどんどん俯瞰していくと人生がつまらなくなる。」と言っていたことを思い出します。あの時は「へえ、そうなんですね、、(やばい人だ)」とか思ってましたが、数年経ち、じわじわとその意味がわかってきたように思います。

芸術の世界を探究すると、特に近代美術は「個性」にフォーカスしていきました。必死に向き合った時代だったようにおもいます。現代でも「アート→個性的」の印象はあるのではないでしょうか。

恋歌は超自分語り

ここで冒頭の恋歌の話が出てくるわけですが。
感情の塊で、なんか生きるための本能剥き出し話ってのが恋愛ものなのだと思うわけです。私も恋すると視野が狭くなる感覚があって、嫌気がさすがどうしようもないみたいな。で、何だかんだ楽しむ、それが恋で。抗えない衝動がつき動かす。
そうゆう時に、自分の個性とか魅力に思考が向いてくる。

ああ、このフォーカスを上げたり下げたりをグイグイ動かすのが人生楽しいんだなと。

ということで、恋歌は超自分語り、超近視メガネで世界を見てる感覚に陥るのです。
それが歌で目立つってなんなんだろう。

個性に焦点を合わせると人生がドラマチックに見える

超近視メガネでみた世界には人の心を動かす力があるのだろう。
自分が主人公のドラマは何よりも面白い。

情報がちょっとずつ明かされるミステリーのようなワクワク感があるのかな。

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