旅の始まりの始まり

3月5日

私の登校拒否が始まって三日目、ちょっとした罪悪感が残るものの基本的にはお気楽な生活がスタートした。
けだるく退屈な暮らし…その退廃的な響きは私をうっとりさせる。
雨が降ろうと雪が降ろうと、もう今までのように嫌な気分になったりはしない。
そんな日は外に出なければいい。
もしくは降りやむのを待てばいい。

実際この日は朝から変な天気だった。
晴れていたかと思えば曇り、挙句の果てに降り出した雨はしばらくすると雪に変わった。
私はカフェで一人ぼんやりとその変わっていく空模様を眺めていた。
この町は曇り空の方が好感が持てる。
山並みや湖、並木道や趣のある建物、それにシャトー。
ポストカードの中のそれらはいつもつきぬけるような青空をバックに佇んでいる。
晴れた日のこの街は確かに絶景だ。
ただ、私には少し明るすぎる。
漂う空気は健全すぎ、人々は親切すぎる。

カフェを出て小雨の降る中をぶらぶら歩いていると偶然一人の友達と出会った。
小さすぎるこの街ではぶらっと歩くと必ず誰かと出会う。
もしかすると私は誰かと出会う偶然を求めて歩いているのかもしれないし、他の人々もそうなのかもしれない。
「偶然」誰かと出会うのが私は結構好きだ。

その友達はいつも現状に不満を持っていた。
何か楽しいことを求めてじたばたしていた。
でも他力本願で。誰かが何かを持って来てくれるのを待っていた。
私は基本的に彼女のことが好きだったけど、何か楽しい話はないかと期待に満ちた目で見られるのは少々面倒だった。
だけど彼女は私のことを非常に好いていてくれた。

私たちは復活祭の休暇の話をした。
もう語学学校に行く気のない私には休みの日程などどうでもよい話だったけど、2週間も続くその休みの間はこの街から半慣れていたいことも確かだった。
そういう理由で私は何日かパリに行く予定だった。
彼女もまた違う日程でパリに行く予定だったらしく、日にちを合わせて一緒に行きたそうな素振りをしていたけれど、気付かないふりをして誘わなかった。
時々偶然に会ってお茶をして世間話を交わすには良いのだけど、何日もずっと一緒の旅の友には少し重すぎる気がしたからだ。
私は旅行友達を選ぶときとても慎重だ。

眠っていた旅心にその時火が付いたのかもしれない…

その日の夜はHの家で晩御飯を一緒に食べた。
親子丼だった。
最近は彼女とよく一緒に食事をする。
対外が和食で、このところ私はパンよりお米を食べることの方が多いくらいだ。
和食にはちょっと合わないテイストだったが、食後には私が手土産で持参した安物の白ワインをちびちびと飲んだ。
どうでも良い話をだらだらとしているうちに(彼女とはどうでも良い話をするのが非常に楽しい)話題は旅行の話になった。
私たちはBRETAGNEを旅する約束をしていた。
と言ってもガイドブックなど持っていないので、行き当たりばったりの旅になるはずで、そのいい加減さを共有できるのが結構楽しみだった。

Autostop…
その言葉を先に口に出したのがどちらだったか、もう覚えてはいない。
だけど私たちはその言葉に反応し、夢中になった。
当初の計画などどうでも良くなり、もうヒッチハイクの旅以外は考えられなくなった。
出来るものなら野宿さえしてみたいくらいの勢いの私たちだったけど、3月の寒空、外は雪…
さすがにあきらめざるを得ない。

旅心が完全に燃え上がった私たちは今すぐにでも出発したくてうずうずしたけれど、その前に片付けるべき雑用がたくさん残っていたので、出発は10日後の月曜日となった。
来週一週間で面倒な用事を全部済ませなければならないけれど、きっとそれも浮かれ気分で片付けられるだろう。

旅のきっかけなんて、結局そんなものだろう。
ワインを飲みながら地図を広げて初めて名前を聞くような小さな町を辿り、底を旅する自分たちの姿を思い浮かべては、ニヤニヤしたのだった。


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