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「なんとかなる」ために「なんとかする」側でありたい


こんばんは
親戚一同に集まる機会があり、兄妹が多い同士のため親戚だけでも20人越すという非常に貴重な一日でした。懐古/回顧どちらも行われ、きょうだい説明の時に「ここまでが戦前」「私からは戦後」のように一区切りもあるなど時代の変化を少し垣間見えたり、、面白かったです。少々疲れましたが。

人数も人数なのでさらっと近況などをお伝えする際、「皆頑張っている」を標語にしている我が家ですが最近どう?忙しい?みたいな時に

なんとかしてるよ」というワードも頻発。

「なるようになれ」って言葉に身を任せてしまいたくなる時、その状態の時は逃避に近く、ちょっと覚悟と責任を少し遠くに投げている無責任な言葉だなとなんだか思っちゃいました。

で、その状態のままにしておくと、ちょっとろくでもない結果になっちゃいそうだよねと。「そんなこと思ってもいませんでしたー」ではなんやかんやで許されきれない世の中じゃないですか。

だから「何もしないでそのまま何とかなる」ためには「何とかする」努力をすることが不可欠だよねという話になりました。見てないふりをすることも簡単なんだけど、結局そうすることで自分の希望の未来になる確率は低いのなら、頑張ったほうが後味がいい気がしますよね。「気づいた人が損をする」みたいな縮図は苦手だし、言って変わる部分、言うのが面倒で自分でやってしまう部分などの塩梅は抱えている案件の難易度と個人のキャパにもよると思うけれど。難しいね。

ただどちらかといえば 見過ごしたり知らん顔しちゃう人よりも、よくするために奮闘・抱え込んでしまう人達の方が親近感というか、応援支援をしていたいと思いました。苦しみすぎていたら、それは全部投げ出して~と思うけどね。たまに心でひげだんの『コーヒーとシロップ』の曲が流れたり。
自分の人生を大事にしてほしいという願いと共に。

なんか一見すごく言葉遊びをしているみたいなんだけど自分の中でちょっと腑に落ちたので備忘用に。「おかげさまで」の感謝の気持ちは忘れずに適度に頑張っていきたいです。抱え込みすぎたら誰かや、文字に「吐き出して」いってくださいね。身近な人がいいときと、知らない人がよいとき、色々ありますよね。ここまで読んでくれたあなたにも感謝の気持ちを。

ではまた。


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