忘れられる権利

夜中に何を書いているんだと思いますが、とにかくご無沙汰です。久しぶりに記事を書きます。今日はこのネタ。

https://newspicks.com/news/2464441

忘れられる権利(削除権)とは、たとえばインターネット等を検索すると、過去の犯罪歴が出てくるとします。その人は罪を償って刑期を終えているにも関わらず、その犯罪歴が半永久的に参照できてしまうため、刑期を終えても実質的に処罰は続いている。これって過剰な処罰なんじゃないの?という考え方があります。

さらには、特に犯罪でもない、誰かがリベンジポルノをやって、自分の裸の写真が元カレにアップされてしまい、それがネットで拡散してしまう。

こういう問題に対し新たな概念として育ってきた概念です。こういうのを削除することを要求するのは正当な権利である、ということです。

情報伝達において、新聞や雑誌、口コミといった旧来からのコミュニケーションと比べ、インターネットが根本的に違うのは、半永久的に情報が保存され、かつ簡単に情報が複製できること。その特性から被害が増えたんですね。

で、こういう権利の話をすると議論が2つに分かれます。上に挙げた事例、後の方(リベンジポルノ)はともかく、前の方(犯罪歴)は認めてはいかんだろう、という意見が出てくるんですよね。

ここでまず、この権利の大前提を知っておく必要があります。本場EUでも、公序良俗のために保持の正当性を主張できるものまでは、削除しなくてもよいこととなっています。たとえば、刑期を過ぎた犯罪はともかくとして、政治家の汚職だとかが当たるかと思います。

2018年に施行されるEUの個人情報保護法に該当する「一般データ保護規則(GDPR)」では、表現の自由の権利行使といえる、報道的性格を持つものなどが例外として認められています。

都合の悪い情報は消してくれ、といっても本当にどんなケースでも消せるわけではないということなんです。

一方、やっぱり気になるのは犯罪歴の件だと思います。上記の通り、刑期を償っても社会的に半永久に刑罰を与え続ける状況は、過剰であると頭ではわかっていても、自分の身近に犯罪歴のある人がいたらぞっとするので知っておきたい。その辺はやっぱりキレイごとばかり言えるわけでもなく、本音はそうですよね。

日本ではまさにこのドンピシャの事例があり、児童買春によって罰せられた男性が削除権を主張してGoogleを提訴し、地裁では認められたものの最終的には昨年高裁で判決が覆り、認められませんでした。最高裁でも認められず、削除無しで確定しています。特にこっち系の犯罪は再犯率が高いと言われており、国によっては永久的に出所後も追跡するところもあります。

この辺は非常に難しい議論になるところで、安易にこうすべき、と言えないところではあるのですが、削除権は日本では認められておらず、上記の判例でも「既存の概念である名誉棄損・プライバシーの範疇で考えるべき」という結論が出されています。このことが今後問題になる可能性があります。

理由はEUからの「十分性認定」を受けられるかどうかにかかわってくるかもしれないからです。EUは、GDPRの施行に伴い、原則EU域内の個人情報を域外に移転することを禁止します。違反企業には巨額の制裁金が課されます。その制裁金は「全世界連結売上高の4%、または2000万€のいずれか高い方」となります。つまり、最低額が2000万€(約26億円)。中小なら一発アウト。そして大企業だともっと高いわけですね。トヨタだと連結売上高が27兆円なので約1兆円。自社内の社員も個人情報ですので、欧州で働く社員の人事情報を日本で見ることもダメです。

これを特別に許可してもらう仕組みはもちろん存在していて、いま大手企業が弁護士と法務で対策しているのはそこ。まず、本人が明示的同意をしているのはもちろんOK。その他に、企業としてしっかりEUと同レベルの管理をやっていることを証明して許可してもらうもの。今回は説明を省きますがSCCとかBCRとかがあります。

そして最後が十分性認定。これは日本という国ごと、EU並みの個人情報保護法制があると認定されることによって、EU域内と実質同じ対応とみなすので日欧間の移転が自由になります。5月に国内の保護法が改正されたのも、十分性認定をにらんでいて、これが通ってくれればSCC/BCRといった手続きを企業が進める必要も無くなる場合があります。(※日欧以外の第三国へ移転することがある場合はやはり必要なのですが)

十分性認定については、今年の法改正もありEUから最優先で検討する国として指定されています。しかし、こうしたいくつかの権利概念に相違があるのでまだ不透明な面が残り、今後国内法でも削除権などの未認定の権利が法整備される可能性があるかもしれません。そして、その時には「何は削除されてはならないか」の議論に本格着手しなければならなくなるわけです。

内容が内容なので、どうせ国会での議論は本質からずれた、ロクな議論にならないでしょうから、その日が来る前に何が本当に大事なことなのか、自分たちで考えておくべきなのでしょうね。

ということでした。ではでは。

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