その2メートルが届かない。
去年の12月以来、半年振りに3回目の漫才をした。
結果は五位。真ん中の順位。
「真ん中って、良いも悪いも何も印象に残ってねぇやん、俺たち」と悔しさを露わにした相方は、結果を聞いてそのままウィスキーを注文しに行った。
会場は飲み物カウンターがあってお酒も提供される。
舞台では、1〜3位が表彰されている。
相方はウィスキーロックを一気に飲み干して、まだ何か喋っている。
何を話しているか聞き取れなかったが、とりあえず酒臭かった。
イベントが終了して、観に来てくれた友達と合流する。
「お前たちコンビには一票も入れてない」
友達には本当に面白かった時だけ票を入れてくれるように頼んでおいた。
「何か面白いことをしてる雰囲気はあるけど、こっちまで届いてない」
友達だからこそ、まっすぐな感想を教えてくれる。
アマチュアが参加できる大会で、会場は小さい。
客席までは2メートルもない。
その2メートルが届かなかった。
相方が練習中に録画した漫才を観に来てくれた友達に見せる。
本番では、練習通りにいかない。緊張もする。テンポがズレる。声のトーンも、間も。ウケると思った部分ですべり散らかすと余計にズレる。
早くなるしゃべるスピードに気付いて、途中で戻そうとするけど、うまくいかない。本当に舞台は生モノだ。
相方は「練習通りにやれたら、どうだったのか」気になったみたいだ。
録画された練習の漫才を見て、友達は一言。
「このスピードでやったとしても、たぶん届いていない」
「やっぱり練習がもっと必要か〜!」と相方。
「ちょっと!りょう君も、もっと悔しがってよ〜!一緒に悔しいって言おうぜ!」と、酔っ払って、青春ど真ん中の中学2年生に戻っていた。
そんな髭面の中2男子は可愛くない。
悔しくなかったのではない。
「届けるっておもしろい」
それが悔しさを上回っていた。
「早く次のネタ練習したいけん、書いてきてよ」
「いや、そんだけ悔しいなら自分で書けよ!」
「いや、それは、ちょっと、、、。りょうくん、お願い!」
そんな酒臭い髭面に頼まれても可愛くない。
数日後、立川志の輔さんの落語を観に行った。あっという間の2時間半。
終演後の話が印象的だった。
「日本全国、大きな会場から小さな会場まで、いろんな会場で落語をしてきました。アジア諸国まで行ってやりました。どんな会場でも、その場をいかに所有するのか、、、。それが落語家の考えていることかもしれませんね」
「落語家は和服を着ているでしょ。ズボンだと膝が動くのが見えて、気になります。座布団に、和服で、、、他に何もない。だからこそ、話に入っていけるんですよね」
細かい部分が違うかもしれないが、このような話だった。
本業で講座をすることがある。
「たくさん人が集まった方がいい」と、躍起になっていたのを最近少し緩めた。
もちろん多くの人に届けたい。
でも、見栄なのか、プライドなのか、生活の為なのか。運動会の玉入れのように数だけを競えば、大切なものが抜けて落ちてしまう気がする。
何よりも参加者が増えても、その一人一人に届いてなければ意味はない。
今は何よりも実力をつける。
そのためには届けたいものを、届けられる人数でと切り替えた。
その先に、きっとたくさんの人に届けられる力がついてくる。
多くの人に触れて欲しいと大量に詰め込んでいた内容を削った。
資料作成よりも「本当に届けたいもの何か?」と自問する時間が増えた。
すると、講座後のアンケートの手応えがはっきりと変わってきた。
参加してくれた人も受け取りやすくなったのかもしれない。
この選択は間違ってなかった。
先日、ピックルボールのレクチャーのお手伝いをした。
(テニスのようなスポーツ)
障害者の為のスポーツ施設で働かれている職員さん達に教える。
ピックルボールは競技で使用するボールに複数の穴があって中は空洞になっている。パドル(ラケットのこと)で、力任せにボールを打っても、相手コートまで届かない。
初めてのボールとパドルに職員さん達は、最初戸惑っていた。
「パドルの芯に当てて優しく送り込むイメージで。」
短い距離から何度も、何度も繰り返していくと、次第に遠くにコントロールできるようになっていく。
当たり前かもしれないが、ボールが届くようになると、職員さん達の笑顔が増える。ほんの1時間まで知らなかったスポーツを楽しんでいる。相手に点数を入れられて本気で悔しくなっているし、いいプレイが出来ると飛び上がって喜んでいる。
届けるっておもしろい。
次は客席までの2メートルを届かせよう。
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