Talking Without Words

徳島ラボ・パーティのテューター(児童英語指導者)たちで、マリーホールエッツの「きこえるきこえる(Talking without words)」の、英語表現活動に取り組んでいます。

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                     ラボ教育センター刊

児童絵本ですが、とても深いテーマが潜んでいるように感じられ、年齢に応じて、大人から子どもまで、楽しめる作品ではないかと思います。


Talking Without Words ことばを介さない語り合い


子どもたちは、子ども同士で、子どもたち特有の周波数で、気配、空気を感じ取っていると、塾や学校ボランティア、読み聞かせなどで、幼児から高校生までの子達と交わる経験から、そう感じてきました。

その中でも、強い印象を放ったまま、記憶に鎮座している風景があります。

14年ほど前、娘の小学校で、ストーリテリング(物語の素話)をボランティアでしていた時のことです。

ある日、お話の時間を担当する、4年生のあるクラスに近づくと、担任男性教諭が、身をかがめ、何かから隠れるように、ゴソゴソしていました。事前に、なんの情報も得ていなかったため、はてなと、頭が反応したまま、教室に入ると、一人の男子が、大声で、罵声を上げながら、興奮した様子で入ってきました。席についても、罵声が続きました。ずっと怒ったまま、言葉を吐き続けているのです。
(後で聞いた話では、その男子は、朝、担任男性教諭の姿を見つけると、罵声が止まらなくなるため、姿を隠そうとしていたようです。結局、見かけてしまって、罵声が始まったのでした。)

驚きを隠せなかったものの、ふと他の子どもたちを見ると、まるで意に介さない様子で、私を見つめていました。

とにかく始めよう。そう思い直して、素話を語り始めました。

トリニダードの昔話、「やぎとライオン」。

トリニダード・トバゴに伝わるお話で、あるライオンが、通りかかったずぶ濡れのヤギを家に招き入れ、親切にも、雨宿りさせてあげ、得意のバイオリンで弾き語りも披露するのですが、ヤギを食べたいという気持ちが歌に出てしまい、、、それを聞いたヤギが、必死に機転を利かせて、最後には、恐れ入ったライオンが、怖くなって、自分の家から逃げていくというお話。

私が語り続けている間も、少しトーンは落ちてきたものの、その男子の罵声は止まりませんでした。それでも、お話と子どもたちから感じる強い視線に集中して、最後まで語り切ったあと、その子は、声をあげて笑い出しました。

またまた、驚きでした。

「この子は、罵声を発しながら、お話を聴いていたのだ。」

そして、周りの子どもたちも、表情から、お話を楽しんでいたのが見て取れました。これも衝撃でした。その男子のために、気を遣っているような、作為的な雰囲気は全くなく、罵声がありながらも、それでも、私のお話に集中していたのでした。まるで、自然の中で、少し音の大きい、川の音でも聴いているかのように、みんな、そんなのいつものことだとでも言っているかのように、その子と現象を「受け入れる」というよりも、馴染んでいる、その場に溶け込ませているような感じがしました。

その男子のことも、頭ではなく、もう、体全体で、理解し、受け止めていたのではないかと、今でも、あの場にいた子どもたちの目や表情を思い出すたびに、同じ思いが巡ります。彼らは、ただそこにくつろいで、あの時、あの場所に居たのだと。

そして、最近は、こどもたち同士は、大人には、なかなか感じ取れなくなった、独特の周波数で繋がっているのではないかと思うようになりました。

娘や周りのこどもたちを観察する中で、マインド優位ではない、子どもたちが、全身で目の前の世界を感じとってるのではないかと思えるような姿を見かけたり、気を許した仲間では、大人が介入しない環境であれば、子ども同士が対立しても、その澱みを流そうとするかのように、自然にそれぞれが動き、働きかけを始めるという場面も、何度も目撃しました。(幼児でも、小学生でも。)

そして、子どもたち同士が、子どもの世界に入って楽しんでいるときに、大人の目線で声をかけても、周波数の違う、こちらの声は、容易には彼らに届かないという経験は、数え切れないほど。


この作品を耳で聞き、身体を動かして表現活動を続けるうちに、ますます、「子ども」という存在が放つ、「神秘」から、目が離せなくなってきています。そこには、大人の私が忘れてしまった、自分の存在の原初の姿が浮かび上がってくるのではないか、そんな知的好奇心も強くなってきています。


子どもたちを丁寧に感じていくと、宇宙、その源を垣間見られるのではないか。


そんな仮説が浮かんできます。


子どもたちは、この世の宝だと、根拠なく、信じています。

言葉では、言い表しにくい、「信仰」に近い感覚です。


私の、この世での役目は、このあたりにあるのかしら。












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