35年前のJAL123便墜落事故
当時アメリカのシアトルにいた私は帰国するにあたり、手持ちのユナイテッドの航空券を日本語の通じるJALに変えようと航空会社に電話した。でも帰国希望日の8月12日羽田発大阪行きJAL123便はすでに満席で予約できなかった。それでやむなく一日早い便で帰国した。19歳の夏のことである。
あの時満席でなかったらこの便に乗っていたかもしれない。そんなこともあってこの事故は他人事だとは思えないし生涯絶対に忘れることはできない。ましてや単純に自分は運が良かったなどとは絶対に思えない。そんな感情は失礼であり不遜である。
すでに35年経ち親たちも高齢化している。事故の風化を防ぐためになにかできることがあればこんな私でよければ何かお役に立ちたいと思っている。生きているのではなく生かされているのだ。
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