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無限の世界へ

「ファンヌのいつものノリも、本当の秘密の前では普通になっちゃうね。」「ノリではない!私は幾重もの時代を転生しながら渡ってきた暗黒の魔女だぞ。分かっているのか。」
『お姉ちゃん直伝・魔法のミルクセーキ』
『ミルクを1カップ。砂糖をひとさじ。卵黄をひとつ。メープルを少々』
『良く溶いて、沸騰しすぎない程度にゆっくり加熱。仕上げにシナモンをまぶして』
『どのような冷たい風に吹かれようとも、魂は常に温かくあれ』
…我が師は、誰かに自分のことを知って欲しがっていたのだとしたら―
それを伝えるに相応しいと、私を選んで、
メモを託してくれたのは、とても嬉しい事だ。
どんな世界の選択よりも、
我が師がそう思ってくれた事が、とても…嬉しい…!


かんぱに☆ガールズというソーシャルゲームがサービス終了を迎える。2014年の9月に始まったこのゲームは、いまの基準でいえば古臭い部分も多い。7周年を迎える前に幕を下ろすのもむべなるかな。

嘘だ。私はこのゲームが終わることを少しも受け入れられていない。だから、これは抵抗だ。かんぱにがいかに素晴らしいゲームであるかを伝えるために、私はいまこの文章を書いている。

神は小さきところに宿る

ではこのゲームの魅力は何か。人によって答えは異なるだろうが、私はそこで描かれる物語に惹きつけられた。というわけで、私がまとめたあらすじをご覧いただこう。

通勤電車に乗っていた男は、ふと目を覚まして自分が異世界にいることに    気づいた。現代日本へ帰るための情報収集として傭兵会社を設立した彼は、仕事を通じて人々とのつながりを作っていく。しかしその陰には、世界をめぐる陰謀と破滅の予兆があった。

以上がかんぱに☆ガールズ第1部のあらすじだ。そう、このゲームは異世界モノである。もう見飽きたという人もいるかもしれない。実際このジャンルはレッドオーシャンであり、その中で目新しさを出していくことは難しい。

少しシステム面の話をしよう。
かんぱに☆ガールズはブラウザゲームだ。プレイヤーはキャラクターを編成してクエストを攻略していく。ゲームキャラをガチャで手に入れる=社員として採用するという設定で、彼女たちはそれぞれが使う得物の種類によってクラス分けがなされている。(下画像参照)

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ではここで、アーチャーが用いる弓術の解説をご覧いただきたい。

弓術
ミステリオにおける弓術はエクルやルシェミのものを除けば知識・技術の体系化がなされておらず、習得は口伝か独学に限られる。これを反映してか、人型エネミーで弓を使ってくるのはエルフのみ。
これは古の時代に対人の弓術を発展させた「断罪人」による暗殺手段として猛威を振るったため、以後その歴史ごと封印されてしまったことが原因。
断罪人の家系は素性と技術の由来を秘匿しているため、宮廷弓術として召し抱えられたイーハ家を除けば表舞台に立つことはない存在となっている。
社員が用いる弓術は大半が「断罪人」由来の他にエルフの里に伝わるもの、転移者が元の世界で身に付けたもの、狩猟者等の個人間で伝えられたもののいずれかに該当する。他に、独力での習得と思しき者や習得経緯が明言されていない社員もいる。   (かんぱに☆ガールズwiki 用語表より引用)

ゲームの分厚い攻略本を読んでいるときのような、好奇心を掻き立てられる文章だ。ただ、作中用語が多いため何が書かれているかわからないと感じられるかもしれない。私がここで言いたいのは、かんぱに☆ガールズの世界が緻密な設定のもとで作り上げられているということだ。異世界モノの「お約束」として省いてもよさそうなことを丁寧に描いていくことで、立体的な、奥行きのある世界が立ち上がっている。

この点について、具体例をいくつか見ていこう。

最初に挙げるのは、壊れた懐中時計を直してほしいという依頼から始まったエピソードである。

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私はこれまでガンギ車などという単語を見たことがなかったし、これから先もおそらく使うことはないだろう。それがどういうものなのかもわかっていない。

時計が異世界の物であることを表現するのだったら、見たことがない、珍しい品とだけいえば十分である。だがかんぱにはそうではない。聞きなれない単語を用い、内部構造にまで踏み込むことで説得力を生み出している。

つぎに見ていただくのは、なぜ言葉が通じるのか、という異世界モノによくある疑問への回答だ。

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つまりは超スゴイ魔法のおかげだ。それじゃあ何の説明にもなっていないじゃないか、と思われたかもしれない。しかし私が感心したのは、引用した画像の3行目だ。

使う言葉が違うということは、異なる文化的背景や価値観を持つということだ。言葉が通じれば円滑なコミュニケーションが取れるわけではない。言われてみれば当たり前のことだが、それを自然とテキストに組み込むのは簡単ではない。ここでも、普通から一歩踏み込んだ描写がなされているといえるだろう。

また、会社の業務描写が妙に生々しいのもこのゲームの特徴だ。

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初めてこのテキストを読んだときは思わず笑ってしまった。傭兵会社がメイド喫茶に融資の相談を受け、その店の経営状況について手厳しい指摘を行う。こんな描写があるだろうか。その内容が絶妙に「ありそう」で、営業状況や客層が想像できてしまうところも面白い。

傭兵会社といっても戦だけしているわけではない。美食家のためにモンスターを食材として狩る。美容に良いと言われる鍾乳石から滴る水を採取する。貿易船の修理に必要な石材を集める。彼らが行っていることは何でも屋に近いものだ。そういった細かい仕事を丹念に描くことで、作品世界がどのような文化レベルなのか、国同士の関係はどうなっているのか、そこに生きる人はどんな価値観を持っているのか、といったことを読者は自然に理解できるのである。

先ほど述べたように、かんぱに☆ガールズは何の変哲もない異世界ファンタジーだ。この世に同じような筋書きの物語は数多存在するだろう。そもそも、ポストモダンも終わりを迎えつつある現代で完全なオリジナルを生み出そうという観念自体が幻想である。

にも関わらず、今なお物語は生まれ続けているし、そのいくつかは私たちの心を強く惹きつける。単なるレプリカと魅力あふれるフィクションの違いはディテールだ。細部にこそ神は宿る。

かんぱにがファンタジー作品として卓越しているのはまさにその点だ。膨大なテキスト量をもって事細かな描写を行うことによって、作品世界を唯一無二のものにしているのである。

ミルクセーキの温かな甘み

突然だが、ここで一つ質問をさせていただきたい。かんぱに☆ガールズには総勢何名のキャラクターが登場するだろうか?

答えは300人だ。多いと感じただろうか。だが、ソーシャルゲームという形態で7年近くサービスを続けていれば、このくらいの数字にはなるだろう。

再びシステム面の話をさせていただきたい。このゲームのストーリーは大きく分けてメイン、キャラクター、イベントの3種類がある。これもソシャゲにはよくある形式だ。

この記事のサムネイルにしているのは、ファンヌ・ステニウスというキャラクターの紹介画像である。サービス開始当初に登場し、紹介文にあるような典型的厨二病キャラとして愛されてきた。そんな彼女のキャラストが実装されたのは登場してから約1年後、2015年10月だった。

ファンヌは公国の辺境、地図にも載っていないような僻地で生まれ育った。未知なるものへの偏見が根強くあるこの村で、偶然にも魔法の素養を持って生まれた人がどんな目に遭うかは察していただけるだろう。

そんな環境で彼女が身につけたのが、「厨二病キャラ」だった。
あの娘は魔界から来た古代の魔女に心と体を乗っ取られた。あのお父さんは魔女に娘を取られた可哀想な人だ、全ては魔女が悪いんだ、と村人たちが捉えるようにしたのである。

それで家族は守れても、人々の悪意は自らに向かってくる。家を出れば魔女だと罵られ、僻地ゆえにどこかに逃げることも考えられない。ファンヌは生まれたときからそのような生活を送ってきたのだ。私は魔女だと言うその言葉は、誰よりも彼女自身を傷つけてきたのではないか。その痛みはマジョリティの側でいる私には想像もできないし、簡単に分かると言ってはいけないものだ。

ファンヌが魔法学校に通えているのは、彼女をその閉じられた世界から連れ出した人がいたからだ。彼女を教え導き、ゆっくりと話を聞いてくれた人がいたからだ。

その人こそが、下の画像に引用したイェリン・ユーンである。

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私が書いた文章とは大きく印象が異なる紹介文だろう。実際メインストーリーでは、モンスターをところかまわず召喚したり、ある魔法士の魔力を封じて服従させたりと、かなりあくどいことに手を出している。ファンヌとのつながりもこの時点では絶たれていた。

しかし、イェリンにもそうせざるを得ない事情があった。紹介文にある通り彼女は双子の姉を亡くしている。それまで勤めていた魔法学校を辞め、ありとあらゆる手段で研究を続けているのは、その人を生き返らせるためだ。姉の死が彼女に与えた喪失感は、それほどまでに強く、深いものだった。

記事の最初にある文章はファンヌのキャラクターエピソード2、「魔法のミルクセーキ」から引用したものだ。師匠であるイェリンから以前渡された魔法のメモを解法できたファンヌが、同じ魔法学校の生徒であるヒルダと共に隠された研究室へと向かう、という始まりである。

その部屋で見つかったのは、魔法のテキスト、走り書きの日記、
そして、魔法のミルクセーキのレシピだった。

これは、我が師の最高の魔法の一つに数えられる、
魔法のミルクセーキのレシピだ。
初めて村で出会って、私の話を聞いてくれた時ーー
学校の寮に入って、何もかもに混乱していた私の話を聞いてくれた時ーー
私の初めてのレポートを添削しながら、私の話を聞いてくれた時ーー
我が師との大切な節目には、
必ずこのミルクセーキの温かな甘みが共にあったのだ。
そして…我が師は、大切な人から教わったレシピで…私のために、
このミルクセーキを作ってくれていた。
『どのような冷たい風に吹かれようとも、魂は常に温かくあれ』と。

ここにあるのは温かくて甘い、
ひとりぼっちの夜にそっとそばにいてくれるような思い出だ。

結局、姉を蘇らせるというイェリンの野望は果たされなかった。自分のやり方が過ちであったことを悟ったのだ。後悔、悲嘆、自己嫌悪。失意の泥沼にはまり込んだ彼女に寄り添い、人生をやり直すきっかけになったのは、かつての弟子だった。

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世界が理不尽だと言うとき、つい私たちは自らを被害者の側においてしまう。けれど本当は、傷ついているのと同じくらい誰かを傷つけてしまっているかもしれない。私たちは、誰かにとっての「理不尽な世界」の一部分だ。
傷つけ、傷つけられて、そうやって私たちは自らを損ないつづけている。

けれど、自分のことを心から打ち明けることができたなら、そうできる人と出会えたなら、その人生はきっとより良いものになっていくのではないか。

さて、ここまではファンヌとイェリンの物語をたどってきた。
ここでもう一度、かんぱに☆ガールズに登場するキャラクターの数を思い起こしていただきたい。

そう、300人だ。

もちろん全てのキャラクターに、このような「重たい」過去があるわけではない。中にはギャグに振っているキャラクターストーリーもある。

それでも共通しているのは、1人1人のキャラクターをその世界に生きる人間として描いているということだ。レア度が低いからといって雑な扱いをされるということは決してない。ファンヌは☆2、イェリンは☆3として設定されている。最高が☆5であることを考えると、2人が決して「レアなキャラ」ではないことがわかるだろう。

300人いるキャラクターのそれぞれにバックグラウンドがあり、彼女たちが互いに関係を結んでいる。その結果、かんぱに☆ガールズの人物相関はどうなっているのか。これに関しては実際に見てもらうのが早いだろう。下のURLは、有志の方がまとめてwikiに載せてくださった人物関係表だ。

画像にして12MB。これが約7年の積み重ねだ。
言葉を選ばずに言えば、頭がおかしい。これを把握して物語を進めているライターはどうかしているんじゃないかと思ってしまう。

この記事ではファンヌとイェリンに焦点を当てたが、この2人の関係が全体の極々一部に過ぎないことはわかっていただけただろう。途方もない数のつながりと、そこから生み出される物語。それがかんぱに☆ガールズの魅力である。

無限の世界へ

世界設定とキャラクターの観点からかんぱに☆ガールズの魅力を語ってきた。少しでもそれが伝わったのなら幸いだ。

最後に、この作品が何を伝えようとしていたのかを考えたい。
長々と続いてしまった文章だが、
最後までお付き合いいただけるとうれしい。

エヴァンゲリオンの話をする。
ネタバレが嫌な方は次の☆まで読み飛ばしていただきたい。

人類補完計画とはなんだったのか。
個人を消失させ全体へと統合することで、「私」と「他者」という境界線から生まれる苦しみを消し去るという試みだ、と私は理解している。少なくとも、それがこの計画の一側面だ。

他者との差異が苦痛を生むのならば、その存在ごと消してしまえばいい。
かんぱに☆ガールズにもそのように考えた人がいた。それがこのゲームのラスボス、ウラディエナである。

かんぱに世界の生命はすべて、エルス神から授かった「ディメンション・ドライブ」という力を備えている。その輝きを唯一持たない存在として生まれ落ちたのが彼女だった。

エルスがウラディエナという存在に託したのは、ドライブの力に頼らない、新しい地平を目指す知性と力。
だけど、その対比は、世界全体という絶対的な他者との違いを際立たせるものでしかなかったのかもしれない。
自分自身が、この世界に存在する全てと異なるということ…それは、僕らが想像する以上の孤独なのかも…

なぜ私はあなたではないのか?
なぜ私は生まれなければならなかったのか?
この世界に果たして価値はあるのだろうか?

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彼女が選んだのは、世界を飲み込みすべてを無に帰すことだった。

かんぱに☆ガールズがその物語を通してずっと描いてきたものがある。
それは、世界の複雑さ、他者と分かり合うことの難しさ、それでも手を取り合おうとする人々だった。

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だからこそ、この物語の主人公はウラディエナの痛みに気づくことができた。そして同時に、なぜ自分がこの世界にやってきたかを悟ったのである。

だけど…分かる…そうだ…
僕も、そうして、この世界に来たかもしれないからだ…!
自分の居場所として、認めきれなかった世界から…
現れたのかもしれない…!

彼女は打ち倒される悪役ではない。共感しうる痛みを抱く一個人だった。

ストーリーの最後、
ウラディエナは主人公たちによって別世界へと送り出される。
それは、このうえなく優しい選択だった。

どうしようもなくひとりぼっちで、自分も他人も好きになれなくて、それでも世界は無限に広がっていて、そのどこかには自分の居場所がきっとある。

それがきっと、かんぱに☆ガールズが伝えようとしていたことだ。

さて、くどくどと文章を書いてきたが、私は何がしたかったのだろうか。
かんぱにの魅力をいくら人に伝えたところで、サービス終了という事実は変わらない。

形に残せばいくらか気持ちが整理できるだろうと書き始めたが、ただ哀愁が増すばかりだ。

私にとって、かんぱに☆ガールズは大きな居場所だった。

忘れたくない思い出がたくさんある。ここには書ききれなかったことも。

「そんなゲームもあったな」なんて言いたくない。

これは抵抗だ。私とかんぱにをつなげて、結んでおくために、私はいまこの文章を書いている。

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