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カバラを学んで10年経っていた。

ちょっと前に学んだと思っていたのに、
古いノートを見返していたら、カバラというユダヤの教え(密儀)を学んだのは、10年も前のことだったということに気付いた。


あれからわたしは、自分の人生の哲学の柱にカバラの教えを据えている。
学んでまだ数年と思っていたのに、10年を超えていた。


大いなる学びの前で私たちは永遠のビギナーで居られるけれど,その永遠のビギナー精神を脱いで,中級編突入だわ。と意識的にステージを上げていく必要がある感じている。


謙虚さは大事。
でも,謙虚という罠にハマって知らぬうちにビギナーという快適な場所にいつづけてしまうことは考えものだ。



毎日カバリストとして生きていたか、と言われたら、熱心なカバリストではないと思うが、それでも人生の要所要所でこの道具を使い、自分を磨いてきたはずだ。



10年以上の実践を少し評価した方がいいのかもしれないと思った。
脱ビギナー!


数ヶ月前から,カバラのテキストとノートを読み返しているのだけど,そこに書かれているものは,今でも新たな学びがあるほど新鮮な輝きを放っていて、走り書きのメモでさえ唸らされる。


書ききれなかったのであろな,と思われる箇所の続きは,一体,なんだったのか。
聞き逃しや書き逃しの箇所を見つけるたび,「なんと勿体無いことか」と思い、あの時,口伝口承で学んだことの貴重に気づく。


ノートを読み進める毎に,なんと深く意味のある学びを10年前にしていたのか、と感心する。何度も何度も見直してるノートなのに,今でも学びに溢れている。
今のわたしがもう一度,これを学び直せたら・・・と思うが、わたしが10年齢を重ねたのと平等に師も齢を重ねていて、今、この密儀は伝承されていない。



そう思うとなお一層,必死で学び実践したあの日々は、わたしにとって「宝」でしかないと思う。貴重な時間だった。


紙のない時代に,選ばれし人にのみ,リサイタル(口伝)で伝承されたユダヤの教え。
アラム語,ヘブライ語,英語そして,わたしの師が日本語に翻訳してくださり,わたしのところまでやってきた。ざっと4000年前(紀元前17世紀)から現代へ。

この密儀の存在が一般に知られたのは12世紀。
ユダヤ人以外に伝えられたのは,15世紀に入ってからだと言われている。

長い間,廃れることなく人から人へと伝えられてきたもの。
それを学んだという意味を改めて考えてみると,個人的な学びではなかったのかもしれないと思わなくもない。

カバラの教えの中に「分かち合い」というのがある。
今,読み返してるノートの中に何度も出てくる「分かち合い」というキーワードが
10年前よりも,5年前よりも、1年前よりもリアリティを持ってわたしに迫ってきている感じがする。



カバラという言葉は,受け入れるという意味で,伝承を受け入れること=伝えることである。とノートに書かれていた。

前は気にも留めなかった言葉が,今じわじわ来ている。
受け継いだ責任を感じ始めているのだ。

これまでも錬金術的アロマテラピーを教える中で,カバラのことを話すことはあったけれど,それでは不十分なのだ,と今のわたしは感じている。

「教えることが最大の学びです。シェアしてください。」
「今できるレベルのことでも十分,誰かの役には経つのです。」


その師の言葉を10年前は軽視していた気がする。
錬金術的アロマテラピーはやれる,でもカバラは違う。
そう隔てていた分離線をわたしはそろそろ溶解していくのかもしれない。

最近生まれたわたしの中での内面的変化は,わたしの現実面を大きく変えようとしている。それは,慣れという「快適」
快適という湯船からわたしが出ていくということだ。


輪廻転生というものがあるなら、わたしの魂はこの学びと智慧を来世にも持ち越すだろう。そう思えば、わたしの魂にとってもこの学びと実践は「宝」となることだろう。



古いノートを読み返しながら,えらいものを受け継いでしまったものだ,と思った。
そして,何にも変え難い財産を既に手にしていることに細胞が震えた。



今,感じている確信で間違いはない。
だから,進むよ。
そんな決意をここに。


先月からわたしは,家系のカルマやトラウマの解毒を行う「解毒月間」を過ごしているのだけど,わたしの今は、いろいろな過去と現在が交錯していて、人生はただの平坦な道ではなくて,いろんな時間軸が交わっているものなんだと実感させられる。


過去世も,今世も、未来世も「今ここ」で交差してたりするのよね。
それはそれはとてもドラマティックなこと。
もちろん,渦中にいるとドラマティックというよりは,ただただ泥臭いだけだけれど。

わたしの解毒月間の影響は,どこに現れるのだろうか。
この世界は,誰かのアクションに,必ず,誰かがリアクションするようになっている。
今は,まだ見えないそれが,現実に見えるようになるのが楽しみでしかない


30:弥勒菩薩

善も悪もなく,全てが1つにつながって,
生き生かされていることを伝えるために降りてこられました。
個に見えても実は全。
時空を超え繋がりあって、世界は成り立っているのです。
誰かが何かを思惟するとき,世界もまた呼応するのですから,
全肯定こそ,賢者の道です。
弥勒菩薩:草場一壽公式サイト


これももしかすると10年位前かもしれない。。
陶彩画の草場さんの個展に行ったことがあった。その時に,弥勒菩薩のおかみカードを買って,それをずっと飾っている。否定的なことを思う自分が出てきた時に見ると,自分のエゴに気づける。


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