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【推しの変遷】佐藤敦啓くん〜山田康太選手まで(良い推しの日に寄せて )

日記から。
昨日は17時半までしんどくて寝ていて、24時には眠くて寝ました。6時間半しか起きていない😱

うつ症状で日中しんどくて寝ている時は、「寝ている」というより、意識失って他の世界にいるという表現が近いかもしれないです。だから、日中は寝ても寝ても疲れが増すだけで。夢を必ず見るので、一体あれは夢だったのか現実だったのか…。物理的なモノを見て、嗚呼現実だったか、なんて判定したり。自分でもちょっと怖かったりします。普通に朝起きられるように早くなりたいなあ…。


さて。今日は12時半には起きられたのですが、予定があって出かける前に #note を書くことができませんでした。本当はnoteを書くことも「予定」としたいのですが、まだそこまで心身が整ってなさそうです。ぐぬう。まあ、ぼちぼちですね。


本題です。

今日は #良い推しの日 なんですって!ということで、推しの変遷を書いてみたいと思います。


【佐藤敦啓(佐藤アツヒロ)くん】

初めての 推しですね。(この頃は 推し という言葉がなかったか) 光GENJI のあっくんこと 佐藤敦啓くんです。(歳がバレる。いや、いいんです、そんなこと!)

光GENJIの中では小さくて、いつも手首まで隠れるほどの大きめな上着を着て、ちょこんと袖から出てる指がかわいかったんです。(後の【萌え袖】ですね。この頃はその呼び方なかったと思います。)(てか、この頃から萌え袖ダイスキだったんだな…あたし。)

あと、赤坂晃くんといつもセットで。仲良しな感じがとてもかわいかったなあ。



ふたり脱退して、光GENJI SUPER5になる頃に熱が覚めてしまったのを覚えています。

尚、光GENJIの中の、佐藤アツヒロくんと内海光司くんはまだジャニーズ事務所所属なんですよ!


【小沢健二さん】

それから高校卒業まで特に推しはいなくて。

大学入って直ぐに「今夜はブギー・バック」を有線で聴いてから、小沢健二(オザケン)さんにハマりました。(有線…って!これまた時代ね。)

直ぐにチケットを買って渋谷公会堂に行ったのを覚えています。

その時に会場でアンケートを書いたんです。しっかり住所と電話番号も書いて。

そうしたところ!当時の人気歌番組、ダウンタウンがMCをつとめる「HEY!HEY!HEY!」に小沢健二さんが出るので観覧に来ないかと連絡があったんです!初めて、公開収録を経験しました。

あの時、ダウンタウン 松本人志さんに劇的にハマったトークを巧みに繰り広げ、ドッカンドッカン笑いを取る、小沢健二さんが、めちゃくちゃにカッコよかったなー!松本人志さんに気に入られて、凄くトーク収録が長くなったのを覚えてます。

この時、小沢健二さんの“相手のニーズに応えてしっかりと自己演出できる”クレバーさに、さらに惚れ込んだのを覚えています。

小沢健二さんに関しては、小沢健二さん自体が表舞台からフェイドアウトしていったので私の熱が覚めたというより、そのままフェイドアウトした感じですかね。

その後オザケンが復活!して、復活後も何度もコンサートに行ってます。歳を取ってもオザケンのクレバーさ、いい意味でのインテリさ、そして溢れ出るかわいさは変わらないですね。

変わらないってすごいと思うのです。

今でも「理想のタイプを芸能人に例えると?」と聞かれると「小沢健二」と答えます。それくらい、見た目から中身までスキな人です。


【猿岩石 有吉弘行さん】

その後、突如「白い雲のように」を歌う、猿岩石 有吉弘行さんにハマりました。

かわいかったんだと思うんですが…笑、実のところきっかけはあまり覚えてません。ただ、当時から今のようなインテリでクレバーで…ちょっとへそ曲がりなところはあって…いう面はすごく見せてたんですよ。アイドル的扱いだったのであまりメディアにはその面は見えてませんでしたが。多分、今思えばその部分が琴線に触れてたんだろうなあと思います。

それにしても有吉さんには相当ハマって、行動していましたね。大学生という一番お金と時間に自由がきく時代にハマったのもあったんだと思います。全国ツアーに全部行ったり、猿岩石さんが出る公開収録は殆ど行ったりしてました。「笑っていいとも」とか、よくそんなに当選したなあというくらい隔週で観覧に行ってタモリさんに覚えられたりしました。(地方の友達に応募してもらうと当たりやすかったんですよ!)その頃ジャニーズには目もくれずでしたので、収録先で、わあキムタクだあ、慎吾ちゃんだあなんてかるーく観てましたが、今思えば凄いことしてました。

「猿岩石」として仕事が減ったあたりで私もフェイドアウト。後に有吉さんが再ブレイクした時は嬉しかったです!そう、「世間の皆様!これが本当の有吉さんです!」、なんて思ったものです。(何サマ💦というのは置いておいて。)


【中村俊輔選手】

その後シドニーオリンピックのサッカーを観て、中村俊輔選手にハマりました。

その時には推しに会いに行くための?色んな知識もついていたので、すぐにインターネットで調べてマリノスの練習場(当時の東戸塚)に行きました。そうしたところ、初めて練習を観に行った日に、俊輔からサインが貰えて。ツーショット写真も撮れて!なんだこの芸能人との違いは…!と衝撃を受けたのを覚えています。(猿岩石を数年間好きでしたが、コネを使って一回だけしか一緒に写真を撮ることはできませんでした。サインも何かの企画で一度だけ。ファンレターもマネージャーを通して渡してもらっていました。)

そこからマリノスの試合を観に行くようになり、俊輔がレッジーナに旅立った後は箱推し(マリノス自体が好きで特定の推し選手なし)となりました。

数年後俊輔がマリノスに帰ってきて。すぐにゴラッソを決めた時からまた俊輔推しになるものの、俊輔が移籍後またマリノス箱推しに戻りました。


【山田康太選手】(本noteサムネ画像)

現在の推し!ですね。きっかけは、山田康太選手がユース(高校3年生)の頃、2種登録で出場したルヴァン杯アウェイ甲府戦での一本のパスを観たことでした。

山田康太選手がとてもとてもイケメンなので、信じてくれる人が少ないのですが、本当に顔を見てスキになったわけじゃないんです!プレーを見てなんです!(必死!)

この初めて山田康太選手を見た日、試合が終わってすぐに試合会場にてスマホでマリノスユースの選手名鑑を検索しました。そこから、“山田康太”を探して、「顔がタイプじゃない…」と呟いて、めちゃくちゃ周りの人に怒られたのを覚えてます笑。いやその節はほんとにほんとにすみません…!

康太選手、めちゃくちゃ顔、カッコかわいいんですよ!ただ、私の“ど”タイプっていうのがインテリでちょっと曲がったどちらかというと「陰」の人だって話なだけなんです…(俊輔や有吉さんしかり)。

この前それを友達たちに説明したら、「(康太は)めっちゃ陽の光しか浴びてきてないもんなあ」と言われて、少し納得してくれました笑。

ほんと太陽の子です、康太。(元気ですかー?康太選手)

※推し過ぎて、ファンブログをやってます。(現在レンタル移籍中のため更新休止中)


こうして推しを並べてみると、「自分をしっかり持っていて、(意識してやっていてもいなくても)セルフプロデュースが巧く、そのジャンルでとてもクレバーな人」が好きなんだなーと改めて、思います。

それにしても「琴線に触れる」「タイプ」ってどこで形成されるんでしょうね?

もうそこが琴線に触れるって説明のしようがないですよね?なんなんだろう?DNAに刻まれてます?

という投げかけで今日のnoteを終わります。

また明日。

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