yukiho_nishimoto

私の人生が終わるまでに

yukiho_nishimoto

私の人生が終わるまでに

最近の記事

初恋

保育園の時は園内で人気の男の子トップ2の二人が大好きだったし小学生の時は可愛い友達と同じ男子を好きになったりクラスで一番足が速い転校生を好きになったり中学校では同じグループの女の子の友達を好きになったり既婚者の先生に憧れてみたり ミーハー女ここに極まれり、という感じで当時は自称恋多き女と思いつつ今考えてみれば”ちゃんと”学生をしていた時は本当に人を好きになったことはなかった。 そんな私の初恋は16歳の夏、もう高校にほとんど通えていなかった時期の話だ。 当時の私は家出をし援

    • 私が関わりたい人

      それは、”私が大好きな人”もしくは”私のことが大好きな人”この二つのどちらかに当てはまる人だけだ。 私が大好きな人 これはいうまでもなく私が会いたいし話したい、幸せな気持ちをくれるから関わりたい。例えクズ男でもパパ活女子でも殺人犯でも好きな人ならずっと関わっていたいし大切だ。 でも私にはこの相手は片手に収まる程度しかいない。もちろん家族は含まれない。多分この少なさが幸せの少なさと繋がっているんだろう。 私のことが大好きな人 この項目については”大好き”の”大”の部分が

      • 私の好きなところは人を殺したいと思わないところ

        人を殺したいと思わないこと。 これが私の自分の好きなところだ。 私は言うまでもなくだらしなくて何もできなくて実際に毎日何もしていない無職なので自分の好きなところなんかほとんど無い。 その中でふと浮かんだのがこれだ。 そんなの当たり前だと言う意見が大半だろう。 でも考えてみてほしい。 私のような死にたい人間はいわゆる無敵の人でどうせ死ぬんだから何をしてもいいと思っている節がある。私はどうせ死ぬから働かないしどうせ死ぬから頑張らない。そういう考え方の中で唯一「こいつムカつくか

        • 死にたい理由1

          傷つきたくない まだ可能性があるとかやりたいことがあるとかそんなのどうでも良くなってしまうくらいこの気持ちが強い。 生きる上ではお金が必要でそれを得るためには働くにしても誰かに養ってもらうにしても他人と関わらないといけない。 でも今まで私の心を深く傷つけてきたのは間違いなく他人だし関わる上で1mmも嫌な気持ちにしてこない他人は本当に限りなく0に近い。関係が深くなればなるほど余計に。 つまり生きている限り今後も何度も何度も辛い思いをさせられることになる。もう傷つきたくない。