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95%の内と外

人は95%外に出てしまうと不安や恐怖、罪悪感や何らかの後ろめたさに苛まれることが多い…

統計学の正規分布では、平均から大きな逸脱がない限り、95%に含まれることになりますね。

短絡的なまとめではあるとは思うけど…当たり障りのない「普通の」人生を歩んでいれば、95%内に収まるのでしょう。

例えば…

 性的マイノリティであるとか

 自分の子供が自死したとか

などは、一般的に逸脱扱いされるのかもしれない。

生きていること、そのものが使命だと私は思っているので、95%内であろうと外であろうと、大したことじゃないと思っています。

そもそも、私が目指している浄化・浄霊のスペシャリストだって、職業として考えたら95%外にあたると思います。少なくとも、子供が将来の進路として選ぼうとしたら、「世の中、色んな仕事があるから、とりあえずよく考えてみたら」とは、私でも言うと思う(笑)

私の従兄弟は、性的マイノリティであることを両親に隠していることを気にしていました。

その親である叔母は自分の息子が自死した事を自分自身の兄にも言えず、後ろめたさを感じています。(なぜか姉である母には伝えてきました。)

身内が他界した場合は連絡するものだという、一般論が頭にあるからなのでしょう。私が電話をする度に、「まだ連絡する気になれないから、私が言える時がきたらでいいよね!?」と、毎回、私に確認(同意)を求めてきます。

「勿論だよ。」と私は答えます。

幾つになっても、親は親で子は子。そんな「先日、うちの息子が自ら逝きました。」なんて、身内だからと、アッサリと連絡できるものではないと思うの…

例え不義理だと言われようと、自分で「連絡できる」と思った時に連絡すればいいと私は思っています。こういう時に、義理より人情という言葉が当てはまるのでしょうか?!


私と旦那さんは自分達の存在が95%外であると思っています。そして、95%外であることに楽しみを見出していると言っても過言ではない。

学校という95%内にいることをよしとする(95%外に逸脱すると先生に怒られる、友達にハブられる)環境に置かれている我が家の子供達は、そんな両親を若干(?!)ウザい者を見るような目で見ているけど、そんな冷たい視線を気にすることなくゲラゲラ笑っている私達と一緒に楽しく笑っています。「この人達、バカだ」と思っているようですが、ただのバカじゃないんだぜぃ!!!

先日、長女に「勉強ができるおバカ」という称号をもらいました。大してお勉強ができるわけではないので、光栄です。


グラフは綺麗なベルカーブを描いていますが、人生そんなに綺麗に線を引いて表すことなど不可能なの方が寧ろ一般的なのではないでしょうか。

そもそも、誰しも必ず95%外の面は持っているはず。トータルで見て95%内に入っているだけ。そして、両極の5%の面を見せないように注意しながら日々を過ごしている…

その5%の部分がその人の個性であり、醍醐味なのに…勿体ないなぁ…

暴力的、破壊的なエクストリームだと困るけど、害を与えない95%外であることは、怖いことでも恥ずべきことでもありません。


そして、そんな95%外を許容する懐が世の中に欲しいと思っています。

そしたら窮屈な毎日じゃなくなると思います。

味気ない日々にウンザリして脳内お花畑で炸裂したりしないと思います(苦笑)


多様性が当たり前になったら、きっと統計学も刷新されていくんだろうなぁ〜



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