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過去の日記(モラにさよなら)

依存、に思う。

もう、これで何も心配ないんだよ。
一人で悩まなくていいからね。
無理して働かなくていいんだよ。
貴方は私が必ず幸せにしますから。

振り返れば
なんて甘美な言葉だったんだろうと思う。
そして
なんて無責任な言葉だったんだろうと思う。

今ならば思う。
その人の頑張りを自ら背負うことが
その人を幸せにすることではない。

自分で背負うと言っておいて、
陰で愚痴を吹聴するのは愚の極みだがw

野の花は摘んではいけない。
そこでの掟があり、
そこでの調和や環境により
そこで花を咲かせてきたのだ。
根っこを引き抜き、
自分の鉢植えに植えたところで
同じ花が咲くどころか
元気をなくしてしまったり
枯れてしまったりする。

「これだけ頑張って咲かせようとしたのに」

それは単なるエゴで
咲かない花に
フラストレーションを投げつけるならば
咲かない花は何がいけなかったのか。
咲けない花も自分が情けなくて涙を流す。

叩かれても意地悪されても
無視されても
こんな私を助けてくれたんだと
報恩感謝として言葉を飲み込む。

男はフラストレーションは募らせ
全てを撤回し
その植木鉢を蹴りヒビを入れる
新しい植木鉢を知らない間に用意して
時期を待ちその花を捨てて、
別の花壇で新しい花を愛でている。

花は捨てられた意味すら分からず、
雨に打たれながら
二輪の花はこのまま萎れてしまい
降り続く雨に身体を任せて息たえるのかと
ぼんやり考えていた頃

しかし

大きな手がやってきて、
捨てられた花を拾いあげ
元いた場所の近くに植え替えてもらえた。
花は涙を流した。
懐かしい匂い、懐かしい土。
私の居場所は此処だったのよ、と。

雨が降ってきた。風も吹いた。
漲るような太陽の光が花を包んだ。

花は新しい蕾をつけ始めた。
そばにいる沢山の花々が共に風に揺れて笑う。

人間も同じで

咲きたいと思う心があり
たくさんの光や水や風を
自らの力でその場で吸い上げるからこそ

生きたい、と思える。

少し前に

「私を産んでくれてありがとう」 

そう言うと母親は
「何を言うかと思ったやないの!」と
顔をくしゃくしゃにして涙を拭いた。
生まれて初めて母にそう言った。

生かされていることへの感謝。
一人で立ち考えることへの感謝。

夫よ、
貴方からの理不尽な通告があったからこそ
人の温かみを知り、
自分の可能性を肯定し、
ようやく自分を取り戻そうとしています。

まだ写真を見るだけで、
同じ車を見るだけで
過呼吸と痙攣が同時に起こる
重症のPTSDではあるけれど(投薬治療中)

もう依存という同じ轍は踏まない学びを得た。

明日もいい日になれ。