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忘れること

こんばんは。ふらんです。

唐突だけど、自分は今、人の忘れる力に、すごく、有難みと恨めしさを抱いてる。

というのも、今夜は久々に胸がどす黒い何かで押しつぶされそうになっている。

あ、消えたいなって。

ほんっと久しぶりだね、希死念慮さん。

こういう時は無理やり寝るのが最善なのは分かってるけど、
今夜は敢えて沈みまくりたい。

考えがグルグルして止まらないのでnoteに。


(ここまで書いて、文章を考えてるうちに寝落ちしてた。
朝になってだいぶ回復したけど、昨夜の気持ちを忘れないうちに書く。)





そもそも、昨夜はなぜ落ちてたかというと、人間関係。

友達をぞんざいに扱い、迷惑をかけ、怒らせてしまった。

会ったことのないゲーム友達でも、相手は生身の人間。

リアルもゲームも関係ない。

ちゃんと向き合うべきだった。

どんな事情があったとしても、迷惑をかけた事実は変えられない。
決して言い訳などできない。

忘れず、反省し続け、今後に活かす。



それでも、昨夜の闇落ちの具合は久々。

ここまで落ちた理由は友達との件だけじゃなかったなと、今朝になって思った。

実は昨日から実家に帰省している。
それも半ば家出状態で出ていったぶりに。

新幹線ではなく、中高時代に乗り慣れた鈍行列車に
「ガタンゴトン、ガタンゴトン」
と揺られながら帰った。
綺麗な海を見れて満足だった。

大好きな実家のわんこに癒されたし、
家族からも、深く詮索もされず、ただ元気かどうかだけ聞かれた。

昼までは、そんな調子で心穏やかだった。


でもやっぱり、思い出す。色んなこと。
十何年と過ごしてきたこの家と、家族。

きっと実家にいることも、闇落ちを助長したんだと思う。

もう一人暮らしの家に、街に帰りたくなっている。
だけど明日まで、地元で予定があるので我慢。





そうそう。
それで何で題名を「忘れること」にしていたかというと。


先程述べたように、今まで何度も人間関係で失敗を繰り返してきた。

また、ほんの1、2年前の、毎日希死念慮に苛まれ不安が渦巻いていた、あの感覚を久々に思い出し、
と同時に、その感覚を忘れかけていたことにも気づいて何故かすごくショックだった。


そこから
どれだけどん底だったとしても、一時的に全てを忘れ、楽しい気持ちでいっぱいになる。

どれだけ悲しくても、その悲しみは歳月と共に薄れていく。

逆に

あの時はあれだけ反省したのに、
楽しくなると気持ちが緩み、そしてミスを犯す。

いい記憶も悪い記憶も、朧気になり、脳内で美化されてく。

「忘れること」って
人間の大きな強みでも、弱みでもあるなと、改めて思ったのだ。





今まで何度もミスを犯してきて、今後もミスを犯していくのだろう。

でも、人間はロボットじゃない。不完全だからこそ人間たらしめる。
また、生きてる時点で、何らかの形で、知らず知らずのうちに人に迷惑をかけている。

ミスすることも、人に迷惑をかけることも避けられない。

じゃあ、どうするか。

今後もミスしてしまうこと、人に迷惑をかけることを理解した上で、
反省し、同じことを繰り返さないよう心掛ける。
人に対する感謝の気持ちを忘れない。

これが、現地点での、私の解。




と、何だかんだゴチャゴチャ言いながらも

今の自分は幸せです。

感情があるから、苦しくも嬉しくもなる。
けど、それが生きるってことの解の一つなのかもしれない。

現に、自分という人間が地球上に存在してしまってる。
いい意味でも悪い意味でもなく、ただ事実として。

じゃあ、あとは

それを受け入れ、ゆるーく、適当に、何となく、生きていくのみ。

と同時に、抱いてしまう感情、欲望、希望に一喜一憂し、一生懸命生きてくのみ。

つまりは、流れに身を委ねる。
どうしようもないことを、どうにかしようと抗うから苦しくなる、と自分の尊敬する人が言っていた。


話があちこち散らかっちゃったけど、まとめると。

「忘れること」は、自分にとって
大きな救いでもあり、かつ憎い現象でもある。

その忘れるという現象と、ケンカしたり仲直りしたりしながら、付き合っていきたい。

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