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移転で休館する佐藤春夫記念館を訪問するため新宮へ

以前から移転の為休館をすると発表されていた佐藤春夫記念館ですが、休館期間が令和6年4月10日からと発表されました。
本当は秋に行く予定であったが叶わず、なんとか滑り込みで行ってきました。行きも帰りも夜行バスの強行軍で!

新宮まちなか観光案内図

夜行バスが新宮市に着いたのは朝7時半頃。記念館の開館は9時からなので、朝食を食べてから行ける範囲の観光地を訪れることに。


徐福公園

徐福公園入口

各地にある徐福伝説ですが、ここは江戸時代に建立されたお墓があったり、かなりの上陸有力地候補らしいです。詳しくはググってください。
一通りぐるりと見て手を合わせました。

佐藤春夫、成育の家跡

佐藤春夫、成育の家跡

丹鶴城趾跡(丹鶴城公園)入口横に説明看板だけあります。
Googleマップに登録したのですが、何故か検索で出てこない不思議。

丹鶴城趾跡(丹鶴城公園)

丹鶴城下・ぼっつり山
新宮城跡と表記がぶれぶれ

表記揺れが気になるところですが、小山の上のお城の跡です。
ここには与謝野寛の句碑があります。頑張って登ってほしいですが、結構な段差があり、場所によっては足元がかなり危ないところもあるので無理はしないでください。

与謝野寛の句碑

筆塚

佐藤春夫筆塚

丹鶴ホールにある筆塚です。案内も何もないので分かりづらいです。
正面の門を潜って左、駐輪場の奥にあります。
こちらもGoogleマップに登録したはずが以下略。

丹鶴ホール正門
丹鶴ホール正門潜ってすぐ左を向いたところ

佐藤春夫生誕の地

佐藤春夫生誕の地
佐藤春夫生誕の地の碑
佐藤春夫生誕の地の碑
佐藤春夫生誕の地の碑

こちらも碑が残るだけです。
「よく笑へどちらを向いても春の山」と彼の父が詠んだ句が佐藤春夫本人揮毫で掘られており、反対側は弟の佐藤夏樹によるもの。

ここで9時少し前となったので記念館へ。

佐藤春夫記念館

佐藤春夫記念館

東京で住んでいた家を移築復元したもので、この場所に建てられた訳ではありません。
移転先は後述の西村記念館、旧チャップマン邸の近くとのこと。
展示内容は「佐藤春夫と谷崎潤一郎、時々芥川龍之介」といったものでした。小田原事件や芥川形見の着物、門弟三千人についてなど、佐藤春夫を知らない人も知ってる人も楽しめる内容でした。個人的に説明キャプションが全て「先生」呼び(佐藤先生でも春夫先生でもなく)だったのが印象的でした。
建物自体がオシャレで素敵なので、今から行ける人は是非に。あるいは移転後に是非。

熊野速玉大社


熊野速玉大社

記念館があるのはこの大社の駐車場横です。有名な大社なので観光客も多かったです。
佐藤春夫関連としては参道鳥居潜ってすぐのところに句碑と、手水奥に詩碑があります。

佐藤春夫句碑
手水と佐藤春夫詩碑

浮島の森

左側が浮島

住宅街の中に突如現れる森は実は島。貴重な寒暖両性の植物の混成群落でもあるとのこと。
「おいの伝説」という少女が大蛇に飲まれる伝説もあり、雨月物語の一遍になってるそうです。

西村記念館・旧チャップマン邸

西村記念館(旧西村伊作邸)
旧チャップマン邸

どちらも西村伊作設計の建物。
西村伊作は文化学院の創設者で佐藤春夫とも交流あり。前述の与謝野寛が新宮を訪れたのもこの人との所縁によるもの。
旧チャップマン邸は宣教師チャップマンの邸宅。

阿須賀神社・徐福の宮・蓬莱山・歴史民俗資料館・徐福上陸の碑・秦徐福重臣碑

阿須賀神社
徐福上陸の碑
秦徐福重臣碑

徐福上陸の碑と秦徐福重臣碑は離れてますが、あとは同じ敷地なのでまとめて。歴史資料館は何故か無料期間でした。何故。

丹鶴ホール(市立図書館)

丹鶴ホール

2階の壁面に熊野や新宮についてのパネルがあり、4階の図書館には郷土の資料や作家(佐藤春夫など)の作品、それと中上健次コーナーがあります。
中上健次コーナーは書斎再現などの常設の他に特集コーナーがあり、行った時は中上健次と交流のあり直近で逝去された方の追悼特集となっていました。

他にご飯食べたいお茶したり買い物したり本屋へ行ったりしましたが割愛。
これ以外にも計画に含まれていた場所があったのですが(神倉神社など)雨風が酷く、断念しました。
記念館が移転した後にまた訪れたいと思います。

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