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欅坂46への思いの丈。1人のアラサーの個人的な思いの丈。

10月12日・13日、このラストライブを以って、欅坂46は終焉を迎える。

長らく、noteをサボっていた自分なのだが、どうしても書きたい衝動に駆られたので、PCに向かっている。
仕事以外で長い文章を書くなんて、そうそうないことじゃないかな…。

実は、この先に書くことは、とあるラジオ番組へのメッセージとしてしたためたものを、加筆・修正してまとめたものである。もしかしたら読まれてる…なんてこともあるかもしれないが、そのメッセージをどうしても残しておきたくて、ここに記しておくこととした。

メールテーマに沿った「欅坂46への思いの丈」「1人のアラサーの思いの丈」を、恥ずかしげもなく披露しよう。

元々は乃木坂46が好きだった自分が初めて欅に出会ったのは、まだシングルデビューする前。地方のイオンでミニ握手会を開くような、まだまだ未知で無名のグループだった。

その彼女たちが世間を一変させたのが『サイレントマジョリティー』のMVが公開された時。その衝撃は今でも鮮明に覚えている。

「このグループは、恵まれている環境とはいえども、きっと何かを成し遂げるだろう……」

今思えば、そこから信じられないくらいのスピードで駆け上がっていったことにはやっぱり驚く。それでも、紆余曲折あり、決して平坦でも真っ直ぐでもなかった道のりだったことは承知している。ここで上げるにはキリがなさすぎるくらいに色んな事があったものだ。そういう手を焼く感じも、嫌いではない。
でも、その中で一貫してきた欅坂46の楽曲・パフォーマンス・世界観などの『思いを届けたい』という姿勢はとても素晴らしいものだと思う。これまで支えてきたメンバーたちには、この5年間のことを自信を持って誇ってよいものだと思う。
また、メンバーたちを支えた楽曲製作・ダンス・演出を手掛けた沢山の方たちは、とても素晴らしくて、その才能に尊敬する。

それ故になのか、今年7月の配信ライブでの発表当初は「改名する」「休止」という事実そのものがとても受け入れられなかった。今でこそ少しずつメンバーの前を向く姿勢に触れてゆく中で、少しずつではあるが改心しつつあるが、きっと自分も一から出直す形で気持ちを作り直さないと、今までのようにはとてもじゃないけど振る舞えないだろう。こういう時に、器用な人間を見るとつくづく羨ましくも思うものだが、でも結局は「違うよな」という答えにしかならないのは、同じ人間でも違うってことなんだろう。

モノづくりの現場で働いている身からすると、新しいものを作る上で「今までとは違う、普通じゃないもの」を作ることの大変さにはいつも痛感させられる。「昨日までのモノとは違う新しい何か」という訳ではなく、「昨日までのことを大事にしながらも、新しいモノへ変化させよう」という考えの上で、今までの普通じゃないものを作っていこうとしても、様々な障害や軋轢を経てしまうと、いつしかスタート地点にあった『普通』に戻されて行ってしまうこともしばしばあるものだ。合ってはならないことなのは分かっていても、一定数は戻そうとする、自分の尺度で正そうとする、他人の尺度を否定する……よく聞く例え話で「ロバと老夫婦」というものがあるが、あの程度のことなんて日常にいくらでも転がっているものなのだろう。

それを思うと、欅坂46がこれまでに作ってきた「唯一無二のグループ」という一つの集まりが如何に凄いことか、今でもより多くの人に知ってほしかった、共感して欲しかった、そんな思いで一杯になるものである。
「悪いところに目を付ける」のではなく「良さを引き出して、伸ばしていく」という姿勢を取り続ければならなかった、自分を含めた大人の責任というのは、とても大きいものだなと改めて思う。この結末を導いてしまったことには、どうすることも出来なかったとはいえ、自分も重く受け止めなければならないのだと考える。
『アイドル』の枠に留まらない彼女たちの姿が、『アーティスト』としての彼女たちの姿がいつまでも大好きだった、のならば、もっと良い結末を迎えられたのではないか……7月の配信ライブの後から、ずっと出せていなかった答えは、未だに回答できそうもない。

予てから欅坂を観ていると自分がいつも思うのが、「あと10年早く、欅に出会いたかった」と。
欅坂と共に10代の後半を過ごしていたら、彼女たちとその周りの人間模様からたくさんの影響を受けて、きっと人生が変わっていた気がする、きっとモノの考え方が違ってた気がすると、深く思うことが何度もある。そして自分も、世間に立ち向かい自分の思いをまっすぐに伝える人になっていたら…表現の仕方は何だっていい、誰かを救える人間になりたいともっと早く思えたのではないか。タラレバを言い出せばキリがないものだ。

今年、私は29歳を迎えた。
また一段また一段と歳を重ねていくと、如何に早くしておけば良かったか、早く気づけばよかったか、早く知っておきたかったか、そんなことばかりの毎日を過ごしている。

もし、欅坂46が大好きな10代にメッセージが届けられるなら、いつか「平手友梨奈さんを超える人」に、「秋元康先生を超える人」になって、『欅坂46』の作り上げてきたものを超えたその先を進んでいく存在になってほしいと願うばかりだ。こんな1人のアラサーの願いなんてのはどうでもいいことだが、それでも間違いなく欅坂46に影響を受けた10代の諸君には「欅坂46は本物の『アーティスト』だった」ということは保証したい。これは今出来る最後の「大人の責任」なのだろう。

最後に、ラストライブが終わるその時までの『永遠よりも長い一瞬』を共に過ごさせてもらえたことに心からの感謝を伝える。

ありがとう、欅坂46

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