新海誠作品オタクがすずめの戸締まりを見たら出身地が出てきた話と感想記録 ※ネタバレ注意


全文に渡ってネタバレ注意です。
観てない人は、いつでも良いので観てきてください。


前提条件

いくつか書くべき事項があるので書いておきますが、あんまり本筋には関係ないかもしれません。蛇足かも。



前提1

事前に公開されていた特報、予告編、CM、メディアの紹介、新海誠監督が書かれた小説の一切を見聞きしていません。
何故なら新海誠監督の作品であればどうであれ絶対に見るからです。何も知らなければ何が出てきても予想にしていなかったシーンばかりなので、格段に面白いと感じます。
ミリしらの状態で衝撃を受けに行きたいんです。作家買いするタイプのオタクにこのスタイル本当に楽しいのでおすすめしたい。


前提2

なぜミリしらで作品を楽しむようになったのか。
一番最初はラ・ラ・ランドだったと思います。
好きな作家や好きな物語の傾向が近いフォロワーが、ひたすら「ラ・ラ・ランド良かった」と言っていたので、洋画、ミュージカル、恋愛映画であることを一切知らずに、「このフォロワーが繰り返し口に出しているなら間違いなく面白いだろう」と判断して何一つ知らない状態で映画館の席に座り、ミュージカルであることに驚きながら最高の映画体験を得ました。
その成功体験を得て以来、ミッドサマー、ジョーカー、テネット、アンナチュラル、MIU404、シン・ゴジラ、異常(アノマリー)著/エルヴェ・ル・テリエ、Detroit Become Human等々をほとんどミリしらで通ってきました。
あらすじやCMや公式側のプロモーションを見ることすら嫌なので、本当に無知の状態で行くのが楽しいと感じる人間です。推理小説のどんでん返しがたまらなく大好きな人間です。少しでもネタバレ要素のある話しをされるとイラッとします。自分の性質として「面白ければなんでもいい」と思っている部分も大きいかもしれません。ある種のセルフサプライズ。


前提3

新海誠監督作品の大ファンです。ただのオタクです。
思春期にネトゲの友達に勧められて『ほしのこえ』を見てファンになり十数年が経過しています。
『雲のむこう、約束の場所』を何十回と見てセリフも克明に思い出せるくらいには見ました。『秒速5センチメートル』も見たし、『言の葉の庭』からは劇場で見られるようになり、監督のサイン会を眺めながらバルト9のエスカレーターに乗ってました。君の名は。の試写会にも当選して大喜びで試写会に言ってボロ泣きして帰ってきました。
ただの10年来の新海誠作品のオタクです。ずっと一番好きな雲のむこうの世界観を引きずり、さゆりの幻影を見続けています。たぶん新海誠作品を脳内で流すことができます。



ネタバレ注意

以降は『すずめの戸締まり』の映画の核心部分に触れる話をしていきます。
ネタバレが嫌であれば見終わってから見てください。嫌でなくても映画を見ていない状態で見ないでください。


前提4

東日本大震災発生後、実家はかろうじて現存しているものの、福島第一原子力発電事故により、向こう30年、町に戻れないだろうと当時言われた帰宅困難区域出身の人間で、今年実家の取り壊しが決まった人です。震災時は実家から離れて暮らしていたのですが、ネットで先んじて原発の情報を知り、実家に居る家族を避難させるために公衆電話にすがりついていたので間接的被災者とでも言えば良いのでしょうか。そんなこんなで東日本大震災で生活が大きく変わりました。


さて、新海誠作品のファンであり、東日本大震災で大きく生活が変わった人間がすずめの戸締まりを観たので、ミリしらの人間として、新海誠作品のオタクとして、そして東日本大震災で生活が変わった人間の3つの視点から映画『すずめの戸締まり』の話を記録していこうと思います。
基本的に個人の見解です。記憶は勝手に脳に改ざんされます。全てが正しいわけではありません。断言していてもあくまで私がそう感じただけだと思っていただけると幸いです。

とはいえ、人間綺麗に三分割できるわけでもないので、幼少期のすずめが自然に還る廃墟の中を彷徨うシーンの、冒頭5分にも満たない時点で既に泣いていた頭の中は、「この人は自分の信念を変えず、真正面から目を逸らさないことに決めたんだな」というある種の嬉しさでした。それが一番最初に私が純粋に感じた気持ちです。



ミリしら人間として

ミリしらといっても映画のメインアート? ポスターの絵? 的確な表現がわからないのですが、あの絵だけは一応認識していました。小説の表紙を見ていたので、『星を追う子ども』系統の話かな? と思う部分はありました。
ただうっかり11月11日にTwitterを見てしまい、「新海誠監督の性癖を詰め込んだ男が出てくる」「入場特典で新海誠本という公式同人誌が貰える」という話だけは先んじて聞いてしまいました。後者の情報に後押しされ、落ち着いてから見に行こうと考えていたのですが、急遽無理やり見に行きました。
冒頭5分で新海誠監督がやりたいことがわかりました。やりたいことというか、着地したい場所というか、題材にしたいものというか……これは震災当時、津波で何もかもを壊されてしまった人の話に落ち着くんだろうな、と理解しました。
そこからはイケメンが急に椅子になってしまって「イケメン、もしかしてずっとこのまま…?」と不安になりつつ、すずめは日本を北上していく間に、いろいろな人と関わって不思議な縁をつないでいく話でもあるんだな、そしてもしかするとこうしてずっと北上していって、すずめが冒頭でさまよっていた廃屋だらけの場所にも行くんだろうか、と映画を見ながら予想していました。
自然災害の象徴として「みみず」を出してきたことは災厄が視覚的にわかりやすく、旅の目的としても明確で、話が進むに連れて世界への理解度も深まり、最終的にどのシーンを見ても驚きや発見があったので、下手にトレイラーや『すずめの戸締まり』の小説を読んだりしない、キャストも誰だかわからない、その状態で見に行って良かったな、と心底思っています。
君の名は。は特報とか全部見てから行っても十分に面白かったんだけども。予告でスマホが出てきたこととかで既にほしのこえから見てるTwitterのオタクたちと「スマホがあるからそれほど二人の時間は離れていない」とかの考察をしていたのも非常に楽しかった思い出です。それでまさか震災で衝撃を受けてストーリーが進化したとは全く思いもしなかった……しなかったのかなあ。すみません覚えていません。当時のふせったーとか無いかな……。
君の名は。や天気の子より少し深く世界の裏側を描きながら、雲のむこうほどのSF要素が無いにも関わらずオタクが好きな「あったかもしれない可能性」を描き、初見でも非常にとっつきやすく視覚的にも理解しやすい表現をしていて、それでいて美しいだけでは終わらないものがあったし、見終わってから「良かったしか言えない」に落ち着くのも納得しました。すずめが旅の中で髪型や服装を沢山変えていくので、その点でもすずめと草太(椅子)の二人旅であっても画面が新鮮だなあとも思いました。
初見で何も知らなくても、映画館の椅子に座らせたら終わってからも心を鷲掴みにされてしまう作品だと思います。
むしろ事前情報が無かっただけに、感動や切なさや悲しさのダメージが倍になったとも言います。最高でした。ミリしらでも理解に困る部分は無いから何も知らずに観に行ってくれ。頼む。


新海誠監督作品のオタクとして

新海誠作品のオタクが一番口を開きたがらないのが『星を追う子ども』の話なんですが……。監督御本人が「ジブリ」を含めて語っていらっしゃるのでオタク側で突っ込むことはないのですが、私はやっぱり新海誠監督作品にある良さは、国民的アニメに寄せなくていいんじゃない? と勝手に思っていました。既に世界観や空気感が確立されていたので、国民的アニメのイメージを持っている国民側に合わせること無いだろう、オタクに優しいアニメで居てくれ、という気持ちでした。明解かつ難解で考察が捗り、観た人の心を刺し貫き、言葉のどれもが美しい文学作品であって欲しい。
それが星を追う子どもで、国民的アニメ化することによって新海誠作品から失われてしまう尖った個性が浮き彫りになったとも感じました。もっと寂しくて悲しくて、映画を観たせいで想起された自分の感情に苛まれるような、美しくも悲しい毒のある作品で居てほしいと思っていました。星を追う子どもも失う悲しさはあったのですが、冒険活劇の側面が大きかったように感じます。
その点で、今回の『すずめの戸締まり』は、星を追う子どもで失ってしまった寂しさと悲しさを取り戻し、観たものの心を突き刺し、それでいてスクリーンに映る星空のような青く透明な血を刺した心から流させるような冒険活劇に進化してしまって、映画を観ていく中でずっとずっと常に想像を越えてくる物語に、「新海誠作品が新しい完成をした」と感じました。

過去、新海誠監督作品の新作である『君の名は。』の特報が出ていく中で、キャラデザが現代アニメ化し、一部の我々のようなオタクは若干不安もあったんですが、監督の新作は当然嬉しいので試写会に応募して、奇跡的に当選して、過去作になかった視聴者を笑わせるようなコメディタッチのワンシーンが出てきたことに驚き、「30分枠のテレビアニメが始まったと思ったら新海誠監督作品が見事に大衆化して完成した」と途中まで思いました。
途中まではそれだけだったんですけど、あの、これどう見ても、震災を無かったことにして全員を救えたら良かったのにな、っていう作品では? という感想と、雲のむこう、約束の場所のさゆりとひろきが病室で一瞬だけ会えた夢の時間のリベンジと、秒速5センチメートルまででは絶対に最後はすれ違ったままで終わっていただろう瀧と三葉がきちんと出会えたのを見て、秒速5センチメートルまでの過去作はもしかして回収したのかもしれない、とも思いました。

天気の子は、私はちょっと合わなかったのと、初見当時に別の方向から刺されて(※1)感情がぐちゃぐちゃになったまま観に行ってしまったので深い考察はできないのですが、そこでも災害を描くのだな、とは思いました。本当に何故か合わなかった。悔しい。今見たら違うのかもしれないので記憶を消してもう一回見たい。
新海誠作品としては現実にかなり近い位置にあったというのもあるかもしれません。君の名は。は大衆化しましたが、その実、要素としては「夢」がかなり強く、その系統で行くと雲のむこう、約束の場所で、さゆりが目覚めてから夢を失ってしまったことと繋がっていて、現実では失われてしまうもの、記憶の不確かさ、時間の流れの違いの共通点がありました。SF要素も散りばめられていて、ほしのこえから続く時間のズレた二人や宇宙の話もあって、そういう部分が好きだったので、わりと現実に寄った(ファンタジーではあったが)お話だった天気の子は、なんとなくちょっと違うかも、と思ったのかもしれません。
でも段々と、大人と子ども両方の視点でしっかり描こうというのは、今までの歴代作品を見てきて漠然と感じていました。大人にも葛藤や悲しさはあるし、子どもにも悔しさとままならなさがある。新海誠作品を見ていると、大人は子どもの地続きの先にきちんと存在しているなと思えてくる不思議な感覚になります。あとは子ども側に銃持たせたあたりで雲のむこうを思い出してました。銃というのは雲のむこうでも扱っていた題材なので、共通項のように思えるのかもしれません。
それから、きっと災害後の世界を肯定したかったんだとも思っていました。
災害後の世界を否定したのが、君の名は。の世界だったからです。

すずめの戸締まりは、災害後の世界を肯定しながら、本当はそんなことは無かった、できることなら救いたかったと思っていた人をも肯定しました。
災害後の世界を生きているすずめが、これから起きようとする災害を草太と密かに防いでいく。最後には、自分の場所がわからなくなっていた、本当は気づきたくなかった、目をそらしていたかった被災者としての自分を、自分で肯定してしまった。
君の名は。で災害を否定し、天気の子で災害後の世界を肯定した上で、今度は一つの作品で否定と肯定を両立させてしまったので、その点で言っても「新海誠作品、完成しちゃったなあ」と思いました。
それから時間のズレ、夢、確かなものではない記憶、宇宙の話も全部回収したのかもしれないとも思っていて。

ほしのこえにあった、得体の知れない相手のタルシアンは、もしかしたら形を変えたみみずなのかもしれない。空の輝きはみかこの見た宇宙とのぼるの想像上の宇宙で、時間のズレは常世に集約されているのかもしれない。
雲のむこう、約束の場所にあったさゆりの夢は、すずめが止められなかったみみずと、すずめがとめたみみずの分岐に関わり、後ろ戸がある世界はユニオンの塔が消えなかった世界で、さゆりが観測していた分岐宇宙は後ろ戸に通じているのかもしれない。
秒速5センチメートルでずっとたかきが見ていたあかりのような女性の影は、すずめが夢で見ていた未来の自分の姿に投影されているのかもしれない。
星を追う子どものアガルタの象徴として描かれていたのが、未来のすずめが草太の上着を借りた、ワンピースのようなローブのような姿に反映されているのかもしれない。
言の葉の庭でタカオが「沢山歩きたくなるように」と靴を作っていたユキノへの願いが、靴を無くしたすずめが、草太の靴を借りて救いに行く原動力になったのかもしれない。
君の名は。で三葉と瀧が沢山歩いて、走って、夢を見て、記憶を大事にして、失って、それでも世界に負けなかったように。
天気の子で、神に願い、奪われて、それでも取り戻して、大丈夫だと強く言葉にしたように。
全ての要素を集約して描かれているのが、すずめの戸締まりなのかもしれない、とオタクは深読みしました。
まあ夢と記憶、出会いと別れ、何かを失うのは新海誠作品の共通のテーマではあるんですが。
ちょこっとTwitterを見た感じ、ダイジンの扱いに憤っている人が居るようなのですが、従来の新海誠作品であればそもそも草太も失ってダイジンも失って生きて行くので、草太だけでも戻ってきて良かったね、むしろ失ってしまったものがあるんだけどどう感じる? っていう問いかけみたいな感じなのかなあ、と思いました。ダイジンの扱いが悪い、元々人間だったかもしれないだろ、って部分にまで思考を及ばせることそのものに意味があるというか。
後は音楽というか、音を効果的に使うのが毎回上手いなあとため息しか出ない。あ、ここから無音になるな、とか、今無音になるの怖いな、心地いいな、とか色々な無音があるのを特に感じるのが新海誠作品だと思います。いやでもあんまり映画見てるかって言われるとそうではないので断言できませんが、すずめの戸締まりの音楽の、たぶん「すずめ」って曲だと思うんですけど、あのメロディーがあまりにも良すぎる。あと不穏さを出してくる東京上空っていう曲も最高でした。何もかもの完成度が高すぎる。サントラ買いました、ありがとうございます。音と音楽も相まって、一瞬も油断できない、ずっと画面に釘付けの時間でした。本当にずっと緊張してみていました。

ただ、これも雲のむこう、約束の場所の幻覚を十数年見続けているオタクの偏った見方なので、秒速推し、ほしのこえ推しのそれぞれの新海誠監督オタクたちがどう思っているのかはとても気になります。
私は未来のすずめと幼少期のすずめが話すあのシーンのキャラクター作画だけ、秒速とか雲のむこうとかの作画に意図的に寄せてると勝手に信じています。
あの日語ったオタクたち、感想会やらない?


東日本大震災で生活が変わった人間として

上映開始後すぐに景色の美しさにほしのこえの空がある……でもこの廃墟、実家みたいだし震災の話だ……また描くんだ……目をそらさないことを選んだのだな……と本当に最初から最後まで泣いていた人間なのですが、作中で首都直下地震を防いだ後、すずめが実家に帰る、芹澤が「今日中に東京には帰れない」と言ったところで、あ、これ本当に行くんだな、と思って泣きました。今は頑張れば実家までは3時間半から4時間程度で着くので、7時間となると宮城までは行くなとは思いました。
それから北上していくところは、何一つ見逃すまいと見ました。作中に出た看板は東北道で、実は東北道では浜通りは走れず山の方に行くので、必然的に実家は通りません。それでもいい。その過程が大事で、新海誠監督作品で挙げられる特徴のひとつである、景色の美しさはきっと福島の山を見せてくれるのだろうと思って、スクリーンを見つめていました。

余談なのですが、我が家でよく語られるのが、「福島の山と、他の山は違う」という話です。
浜通り沿いから見える実家の山々には個性があり、例えば長野の山を見ても同じ山ではなく、栃木の山でも同じではありません。遠い稜線、全体的な景色、背景としてみた山の話です。絵心がないので的確に表現できないのが悔やまれるのですが、写真を見ても「この山は違う」と思って、やっぱり独特の山の景色をしていて、実際に見ると「この山がそうだな」となるのですが。
その違いをすずめの戸締まりでは描かれていました。段々北上する景色で福島の見覚えのある山になって懐かしさで泣き、その直後に描かれた国道6号線沿いの景色に脳が混乱して嗚咽をこらえるのに必死でした。
具体的に言うと、下記の場所です。本当に短いシーンなのですが、ここから北上していって、「帰宅困難区域」の看板が出てきます。多分ここです。国道6号線沿いに民家が密集している独特な場所です。


すずめがダイジンと芹澤とともに見下ろしていた場所はわかりません。この10年あまりで実家に帰ったのは片手で数えられるほどで、取り壊された家も多く、家々が消えた今の町の姿がわからないのです。
そもそも作中では東北道を通っていたはずなので、常磐道沿いの浜通りを通るとは思っていなかったことと、実家で普通に暮らしていた頃から大好きだった新海誠監督が、自分が良く知っている、失われつつある懐かしい故郷の景色を、放射能汚染土の黒い土のう袋も込みで描いてくれていたことの驚きと嬉しさと懐かしさでボロボロに泣きました。

すずめと芹澤の、同じ景色を見ているのに認識が違うところも、そうだよな、と。
私は実家が恋しいのですが、記憶の中の実家が恋しいのであって、実家である双葉町の閉鎖的な村社会は大嫌いで東京に出てきて一年足らずで実家に帰れなくなりました。でも記憶の中の実家は町としての姿で描かれます。今年9月に訪れた双葉町は、家々は取り壊され、記憶の中のような町の姿は無く、記憶と現実のあまりの違いに、私は現実を見るのをやめました。私の中の双葉町は違います。
田舎の緑あふれる環境は、都会人からすると美しいだろうなと思うので、芹澤の発言を否定する気は無いし、実際、閉鎖的な村社会という人間関係の苦しさが無ければ、私も実家の景色は美しいと胸を張って言えます。ただし、汚染土の土のう袋が無い過去の景色である、というのが前提ですが。
そして私は津波の被害がなかったのですが、当事者のすずめからすると、すべてを奪っていった海は、好きにはなれないんだろうなって。映画を見てから小説を読んで、冒頭のところで答え合わせができました。でも当たり前のように存在しているものだからどうしようもなくて受け入れるしか無くて、どれだけ怖くても、浜で育った人間は浜から離れられず、海が見たい気持ちと、全てを奪っていった海を怖がる気持ちが同居しているんじゃないかなと、親戚や元町民の人たちの話を伝え聞いていると思います。

私は原発事故で故郷に帰れなくなった人なので、震災の津波で家がなくなった方の感覚はわかりません。ですが、自分の人生の中で、自主的に選んで故郷から離れた人とは違い、生まれ育った故郷から離れるつもりが無かったのに離れざるを得なかった人は、どうしても心に「かつてあった故郷」を常に抱いていると感じます。冒頭ですずめと環さんが喋っているのですが、すずめが、恐らく長く暮らしているであろう宮崎の方言に染まっていないのは、何か意図があるなと感じていました。
すずめは覚えていないようですが、きっとずっと心に「かつてあった故郷」を持っていて、繰り返し夢で訪れている。故郷は宮崎ではないから、宮崎の言葉を使わない。家はなくなったので東北弁でもない。どこにも属さない標準語になったのではないかとオタクの深読みをしています。
そしてそれを感じたのがダイジンという存在なんだと思います。作品内で神として扱われているので、きっと人の深層心理や出自、心に根付いた故郷への寂寥感を読み取ったのではないでしょうか。
ウダイジンが環さんを悪化させて言葉を放ったのは、きっとすずめを試す意図があったのだろうなと感じます。常世は人の行く場所ではない、そこに入って行けるだけの覚悟が、悪意や恐怖に立ち向かう意思が揺らがないのか、確認したかったんだと思います。

またもや余談ですが、福島県浜通りに生まれ育った祖父は昔から「三陸は危ない」と地震があるたびに言っていたのを覚えています。
すずめは作中で生き死にに関して、運だと言っています。
私は常々、どうしてあの日に事故を起こした原発が、福島第一原発だったのだろうと、他にも原発はあっただろうと思います。良くないことを言っているとは思います。でも思わずにはいられないので、普段は口に出さないだけです。
三陸で地震は沢山あって、歴史に残る震災も三陸の名前が多く出ています。でも福島県沖でそれほど大きな津波被害があった記録はあまり印象になくて、リアス式海岸のように津波を増幅させるようなわかりやすい危険が無かったからあんな場所に建てられて、それで田舎町は財政的に救われてなんとか生き延びて第二の夕張町にならなくて済んでるとか無事な頃には揶揄して町で語られてて、でも現実を見れば、事故を起こして帰れないのは女川原発でも東海第二でもなくて、福島第一原子力発電所で、もうそんなのは運が悪かったと思うしか無いんです。
運が悪かったんです。

でもずっと気になってたことを言葉にすると、君の名は。の監督インタビューとか拝見してると地名として名取に関しては明言されてるけど三葉のお母さんの名前二葉なんだよなぁとか、君の名は。で天井に彗星の壁画あったけど双葉町にわりと貴重らしい縄文時代の壁画があるんだよなぁとか、敢えて浜通りを描いたのは何か思うところがあって、残さなきゃって思ってくれたのかなあとか、私はほとんど当事者で実家ももう無くなるのに何もできてないなあとか色々なことを思いました。

それで最終的な話をすると、できれば時間を巻き戻して救えなかった結末を変えたかった。でもそんなことはないので受け止めて生きていくしかなくて、それでも目をそらしていてもいつか受け止められるようになるのかなあと思えるような映画だったのが、すずめの戸締まりでした。大人と子どもとかのテーマもあるから当然それだけじゃないんだけどね。本当に色んな要素が詰め込まれてるなあと、ミリしら人間、新海誠作品オタク、被災地の人間としてのどの方面から見てもすごい映画だったな……と。
あとは首都直下とかもう起きるか起きないかわからないので他人事じゃないぞ、って描いてくるのは本当に相当な覚悟がないと描けないし、一度全てを知ってしまったので、二度目三度目と真正面から受け止める気持ちで観るには私も相応の覚悟をしないとなと思って、二回目、いつ観に行こうかなと画策しているところです。
できれば避難して移住してきた祖母にも観てほしいのですが、アニメ映画は観たことがない人だろうし、被災地を題材にした映画を観てるのかも分からないし、でもあの国道6号線沿いの景色は見てほしいし、私は見ていないけれどキャッチーでポップで震災っていう重いテーマを扱ってるようには見えないらしいCMで、三本足の走る椅子が出てくるやつでしょ、とミリしら人間に対するネタバレハラスメント(※2)をしてきた父に、一人で観るべきだと、それとも観ない方がいいと、なんと伝えておくべきか今も悩んでいます。



注釈

※1…ファイナルファンタジーXIV漆黒のヴィランズアーリーアクセスは2019年6月29日開始、発売日7月2日。アーリーアクセス後3,4日で駆け抜けてボロボロになる。天気の子の上映は同年7月19日。漆黒で受けた傷は何年経っても癒えずに今も泣いている。
漆黒でも新海誠作品で感じるような否定と「たられば」を感じていた。

※2…ミリしら好き人間には何も言ってはいけない。大暴れするので。
むしろ、もし予告とかCMとかで私が観るべきだとわかっていても私にリプライで圧をかけずに見守っていてくれてありがとうを伝えたい。


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