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教えること教わること

すごーく久々に書きたくなりました。
たぶんこれはあまり良くない気持ちの吐き出し…


ここ数年、生徒の立場にも先生の立場にも立つことが増えた。

師弟関係とは、双方の信頼の上に成り立つものと思っている。
そしてその信頼は、一長一短に結ばれるものではない。

先生側はある程度演出もするだろうし、生徒側は最初から無条件に信用することはないだろうし。

あくまで私がそれぞれの立場になったときの感覚だけれども。

だから生徒と先生は対等であるべきだし、お互いをの話をしっかり聞いて受け入れることで、質の高い学びが生まれるのではないかと感じている。

別に学会レベルの難しい話ではなく、密度の高い素敵な時間を過ごせるんじゃないかと。


それぞれの地点から

最近新しい職場に入り、自分より生きるテンポの速い人たちと関わるようになった。
私はどちらかといえばのんびりマイペースなのだが、テンポの速い人たちの中だとどうしてもそちらのペースに合わせてしまう。
でも結構疲れる。
別に合わせたくて合わせているし好きな人たちではあるけれど、『疲れる』という事実がどうしても現れてしまう。

そんな中で新しい仕事を教わると、どうしても先生側の『教えたい』と生徒側の『知りたい』の間に溝ができてしまうなあと感じる。

最近だともう、『それぞれ言いたいこと言ってるだけだし、貰ったアドバイスもできるとこだけ取り入れよう』なんて開き直りつつある。

我ながら勿体ないと思うけど、一対一で四六時中面倒見て貰えるわけでもないし、時々くれる『そうじゃないんだよなー』なアドバイスを全て受け止めるだけの余力が無くなってきたのだ。
夏バテかもしれん。


逆に教える仕事のときは、なるべく生徒のことをよーく観察するようにしている。
でも時間制限が迫っていたり生徒側の意志がはっきりしない時、話をうまくまとめることができていないなーと感じる。

『きっと今私、そうじゃないんだよなーなアドバイスしてる』って感じながらも軌道修正しきれないことがある。

そして『先輩からのアドバイス』を受け、先の生徒側のターンへ突入するのである。


私の言い訳

基本的に人の話は最後まで聞きたいが、相手の醸す空気もわりかし読み取ってしまうので、多くの人は居心地良さげに隣にやってくるけれど、もっと私の話を聞いてほしい時がある。

言っても無駄ならせめて気づいてほしい。
…って、つまりは『私を受け入れて!』っていうエゴなんだけど。

信頼関係とは、お互いが納得するまでコミュニケーションを取り合い、少しずつ育てていくものだと思っている。

エゴやら承認欲求やらわがままなんかも全てひっくるめてお互いを包み合えたら、ズブズブの信頼関係築けるんだろうなーなんて思って、今日も少し凹んだのでした。

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