MIRROR感想など
何者にもなれなかった
MVの漫画から、女の子は幼少期ピアノやバレエなどの習い事をやっていたと思われる。
私の偏見なんですが、この二つの習い事って「お金持ちがする習い事」「よくドラマで見る厳しい親」「教育ママ」のイメージがあってて…女の子の持ち物だったぬいぐるみなどがゴミに入れられているシーンからも親が厳しいのかなと思いました。
サッカーに混ざりたいけど習い事に行く女の子の描写もあったし、小さい頃から将来のためを思って色々とさせてもらってたんだろうな。大人になった時のためだよって言われてただろうし、そうすると尚更「大人になったらバレリーナになる!」など夢ができたのでは。子供の頃に描いた将来の夢、将来を思って当時やりたいことを犠牲にして続けていた習い事、でも結局は社会人Aのように轢かれた社会のレールの上を歩くどこにでもいる1人の人間になったわけで…そういう点から「何者にもなれなかった」と表現されたのかなと思いました。
救いと呪い
色んな人の感想を読んでると、曲に対して救われた人とそうじゃない人がいた。
曲を聴いて救われた、呪いが解けた
・どっちつかずの肯定でも肯定に意味がある。
・自分のことを見てくれている。
曲を聴いて救われなかった、呪いをかけられた
・どちらかはっきりしない肯定は綺麗事。
・結局は他人事。
私は前者。
女の子もたぶんこっちだろう。(私の解釈)
"化粧してるから救われてない"どうこうではなくて、今を肯定されたことに意味がある。
今後女の子が会社に化粧をして行ったとしても、それがイコール"救われてないにはならないと思う。
女の子の親は厳しい(習いごと、おもちゃのゴミ)
→幼少期に親が厳しいと、親合の周りの人間の顔色をうかがりよりになると思う。
悪く言うと許可待ち、指示待ち人間のできあがりで、女の子もそうだったのでは。
"良い子”にとって「今が正解だよ」と言われるのは、過去もひっくるめて認めてもらえた感じがするし、曖昧だったとしても“肯定してもられることに安心できて救われる。
もしこれが「正しくなくても良いよ」「完璧な人なんていないよ」って言い方だと自分を下げられたよりに感じてしまう。それは綺麗事だなと思ってしまう。(私は)
だから「醜いけど正しい」は私にとってはものすごく肯定だし救われました。
救われなかった側の意見として、「視聴者にラストの解釈を委ねることで"化粧する自分”も"化粧しない自分”もどちらも肯定している。曖昧
それは肯定じゃないし救われない。結局他人事。」というのがあった。
↓
ガオは表現者として、女の子を通して視聴者に伝えてくれてると思うので色々な解釈ができるということこそ最適解なのでは。
ここでもしどちらか片方を肯定してしまうと、もう片方は否定されてしまう。
(ここらへんが非勧善懲悪っぽいなと。)
この点を他人事ととるか優しさととるかは、その人のこれまでの経験が大きいだろうな。
同じような環境で過ごしていても、女の子のように感じるタイプとそうじゃないタイプがもちろん存在するわけで..。そういう人からしたら呪いになってしまうのもものすごく分かる。
幼少期の呪い
鏡を割れたってことは世間や一般論への抵抗はあるわけで。上に書いたことと被るけど、幼少期の環境や経験って大人になってから簡単に変えられるものじゃないしずっと付き纏う一種の呪いだと思ってるので、それに抗うことができたのはものすごく大きな一歩だと思う。
現状維持なのか打破するのか、それがハッピーエンドなのかどうかは女の子が決めることだけど、最後割れたのが右側で、割れてない左側にバレリーナの置物が置いてあったのがわずかな光に見えた。過去は経験だし希望になるから、習い事で得た経験も知らないところで女の子を助けてくれると思う。
"正しさ"
鏡に映る姿は理想というより「周りに求められた理想の姿」「こうであらなきゃいけないと思ってる姿」。今まで鏡に映ってたものは親や周りに求められる姿。親が厳しいと何をするにも許可をとってしまうことがあると思うけど、女の子の場合親や周りから期待される理想が鏡で、それを真似てたんだろうな。憧れた姿=正で、本来こちらが真であちらが偽なのが逆になってる。だから求められる姿である鏡に近づくほど本来の自分ではなくなって壊れてくんだろうな。
それが後半、本来の自分を写してほしいって女の子が願望を言えるようになってて。期待からの脱却でもあるし、周りの意見に左右されないで自分の思いを声に出せてる。これがものすごく大きな一歩だとおもう。と同時に、子供の頃に思い描いていた「正しい」大人「正しい」自分とは違うんだなっていう悲しい理解も入ってるように思える。悪い意味での成長というか、誰しもが通る矛盾というか。
最後に、求められる姿を正と考えてた(刷り込まれてた)女の子が、そのままの醜い姿が正だと言われるのが良いよね。"正しくなくても良いんだよ""完璧な子はいないんだよ"じゃなくて"今が正"なのが本当に好き。肯定するけど背中をドンと押されるというよりは、今までの経験、過去の全てを丸ごと受け入れてくれた感じ。習ってたであろうバレエもピアノもその他習い事も、それが良くない経験だったとしても女の子を形成する要素にはなってるわけで。結局これからの未来を決めるのは女の子だし、これは分岐に過ぎないだろうし、これからも壁にぶちぶち当たることはたくさんあるだろうし。だけど今、それで良いよって思えたのは大きな進歩だし絶対今後に影響するし。
SNSの"正"と"誤"
「SNSで言うことなんて全部本心とは限らないし、これで女の子が変わったとしても今後に責任は持てない。」旨の感想を目にして。
多分SNSの情報が正しいか間違ってるか、発信した本人の本心なのかどうかはここではあまり関係ないのでは。
あのツイートはあくまできっかけであり、女の子にとっては"世間にはこう言う人もいるんだよ"って知るための媒体の一つに過ぎないんじゃないかな。
今まで"親が正""周りの社会人が正"だったろうから、周りの大人たちが多数派=それが正だったろうし、そこにSNSで周りの大人たちと違う意見を持つ大勢を目にすること自体に意味があるのでは。
ラストの解釈
ラストは結局どうなったの?という点に関しては、私は化粧して会社に行ったと思う。
SNSで少し救われた・世界が広がったにしても、今までの長い過去(ましてや人格形成される幼少期)の習慣や考えは簡単には変わらないし。でも重要なのはそこじゃなくて、
"鏡を割る"って行動できたことで。行動できてこれまでの狭い世界から一歩出われたんだから精神的にも前進できたよねっていう。それだけで“救い"だと思う。
共感性と自己語り
これまで散々書いてきたけど、TLに流れてくる感想は人によって様々で。
「他人なんて気にしなくて良いじゃん!」「人生まだまだこれから!」っていうポジティブ感想もあったので、本当に人によるしそれはこれまでの人生経験や成功体験に基づいてるんだろうなぁっていうのがみんなの感想に著しく表れてて面白かったです。
多分私含めてポジティブな考えにならない人って、いくらポジティブな意見を言われても「その考えもわかるけど実際難しくない?」ってなるし、逆も然り。もっとネガティブな感想を抱く人にとっては私の感想も受け入れられないだろうし。
ただ私は女の子の気持ちにめちゃくちゃ共感できて。それは化粧云々の問題ではなく(私は仕事はどうでも良い格好だけど化粧自体は楽しいし好き。)、そこに至るまでの人格だったり環境や背景についての共感なんだけど、こうやって育ったらこうなるよねってのが自分と似過ぎてまるで美化された自分を見てるようだった。
「行動に移せるならもう大丈夫だよ!」って意見は痛いほどわかる。でも今まで散々否定されできて当たり前を押し付けられ、世間体を気にして…子供の頃に思い描いたキラキラした大人とは程遠い人生を歩んでる身としては胸に刺さったししんどかったし、だからこそ歌に救われた。将来の夢を叶えられない人間がほとんどだと思うし、でもそれって行動しなかった自分のせいだよねっていうのも自分が痛いほどわかってるし。だからこそ醜いよね、でも正しいよって言ってくれて涙が止まらなかったし救われた。こんな肯定の仕方があるのかと救われた。
以前とある番組でオカンエピが放送されていた時、「“あなたは幸せになれない”という母の言葉が呪いのように残っています」という視聴者からのFAXが紹介されて、色々あった後それに対して大吉先生が「これをもって呪いは解けたということで。」って言ってくれて(実際はもっと長かった)それを聞いて私は朝から号泣したのがずっと忘れられなくて。ほんの一言で呪いはかけられるし解かれもすると思う。
どんな言葉で呪われるかも解かれるかも人によっては様々だし、呪う方は何気ない一言でもこっちは一生抱えてることもあるだろうし、そう言った呪いがあの女の子にもあって、女の子の場合はきっかけがSNSだったんだろうな、と。どちらのきっかけも言葉かもしれないし人もしれない、短いかもしれないし長いかもしれない。これからがどうなるかわからないけど、このきっかけがあるかないかは大きいし、女の子が肯定されたことによって自分の人生を好きになれたら良いな〜って思いました!
最後に
ガオが原案でこれをやりたかった伝えたかったと言うのがものすごくわかって、ガオらしいなと。良くも悪くもなるSNSだけど、SNSのおかげで世界が広がったのも事実で。それをVのガオが伝えてくれて。
彼の原案を漫画にして、曲にして、一つの作品にして伝えて下さった関係者の皆様に感謝です。