「やさしさ」とは
人の優しさに触れる度に、私も優しくありたいと強く強く感じる日々です。
小学一年生の時、幼い自分でも気づいていたくらい気が強くて、悪口を言われたら泣かせるまで言い返したりしていました。
しかし、小学二年生に上がる時、周りに友達がたくさんいて楽しそうなのはにこにこしていてやさしい子だ、と気づき、やさしくなろう、と決めました。そうしたらそれからは沢山お友達ができて、一軍メンツとかそういうのに入れて貰えたのもいい思い出です。
よく考えたら、その時の判断が間違えていたのかもしれません。
「人に優しく」とは何か、とよく考えます。
遅刻を許すことは優しさなのか、されて嫌なことをされても許すことは優しさなのか、自分が嫌な気持ちになってまで人のために動くことは優しさなのか、言い出したらキリがない気がします。
高校生の時から、これだけは心に決めて生きてきました。
「人にされて嫌なことはしない。」
だから、自分がされたら怒るのに、人には嫌なことをする人は理解ができません。
けれど、私はそれを伝えることもできません。
これを、「やさしい」の4文字で片付けるのは違う気がします。
人に嫌われるのが怖くて、人からの評価を気にしてしまって。だから優しくあろうとしている自分も嫌で。そんなふうに生きていたら、あの子には何を言っても大丈夫という雰囲気になっていて。
何度家で一人で泣いたことかと思います。
自分を守ることも優しさだと思います。
私にはその優しさが一切ないな、と泣きながら感じます。
本当は、大切な人の辛さに気づけたり、励ましたり、元気かどうかを心配したり、そんな身近な優しい人でありたい。
本当の強さを理解して、強さと優しさを持ち合わせる人になりたい。
けれどただただ今は、自分が情けなくて、自身を保つのに必死になって生きている。
気が狂いそうなストレスまみれの日々に、自分の思いに自分で蓋をして、眠れない夜を迎えている。
それもそれで、本当の「やさしさ」に近づけている日々なのかもしれません。
強くなるぞ、自分。
優しくあるぞ、自分。