女はやどかり

せんせいあのね。今日は家族がとても面白い話をしていたから、その話を聞いてください。

家人と祖母の家に帰省した時、スーパーに行きました。祖母がカートを押して一人黙々と買い物をしていて、私と家人はすこし後ろをのんびり進んでいました。スーパーってその地域によって、おいてある品物とか値段が違うんです。散策してるだけでも楽しいです。(それはまた別な機会に。)だからこっちのスーパーはお肉コーナーが充実してる!とか、そんな話をしながら歩いていました。刺身などの生鮮コーナーで、そういえばしじみとあさりの違いってなんだっけ?いい年こいてそんなこという?なんて話をしていたら、家人がこう言いました。
「そういえば、女はやどかりだよね。」
唐突過ぎて、は?って思いました。やどかり?突然なんやねんていう。でもこういう急な発言は家族全員するので、ああいつものことかと思いながら「なんで?」って言いました。

やどかりは、成長に合わせてお家をころころ変える。
女も、成長や転機で家を変える。生まれた家から進学や就職で出ていく。結婚したらそこから引っ越す。離婚したらさらにそこから引っ越す。
女はやどかり、自分の家を所有することはない。色んな家を転々とする。

面白い考えだなあと思いました。でもすぐに、自分の家がないってどういうこと?って思いました。テレビのCМだったりドラマだったりでは大黒柱は旦那さんのほうだから、男性が払う…男性の持ち家っていうことを言いたいのかな、って思いました。そういうことなら、確かに女はやどかりだなって。
持ち家がないって、なんだか宙ぶらりんっぽいなと思いました。少しずつ変わってきてるけど、女性は家事に育児に家のことをいっぱいやるのに自分の家じゃない。家が借り物?みたいな感じ。それって凄い違和感だなって感じました。家のために尽くすのに、そこは自分のものじゃないのかーって。
でもそれって身軽でもあるのかな、と思いました。私は家に対するイメージの中に、ちょっと鎖みたいなところがあるなあって思っています。閉鎖的な感じというか、縛り付けられるみたいな感じです。そういう家というものが、完全には自分のものじゃないから、いつでも出ていける。それって良いことなんじゃないかなと思いました。いくら尽くしても自分のものにならないのだし、嫌になったならさっさと手放してしまえばいい。…なんだかこわいこと言ってるみたいになってしまいましたが、でもそんな風に思いました。

もちろん、やどかりじゃない人もいると思います。帰省先の祖母は、もうやどかりじゃないんです。祖父が私が生まれる前に亡くなっているのもあるけど、彼女は自分の家を自分のものとして手入れしているんです。もう80代半ばだけど、毎日少しでも暮らしやすいように所々リフォームをしているんです。廊下に手すりをつけたり、玄関の段差をなくしてバリアフリー化したりしています。
こんなこと言うのは本当に良くないけど、祖母は80代半ばです。元気だけど一時期すごく具合が悪くなって、寝たきり手前までいったらしいです。私はその頃、都合がつかなくて帰省出来ていなかったけど物凄く悪かったみたいです。それから少し改善されて落ち着いているけど、つえをついているし、背筋も曲ってきてしまいました。そんな祖母がリフォームを繰り返して、家を整えているのは、なんだか…。さみしいというか、切ないというか、なんだかもやもやした気持ちが生まれてしまいます。

まとまりがなくなってきてしまいました。とりあえず、祖母はやどかりでなくなりました。むしろ、自分で自分の終の住処をととのえています。やどかりも、最後は自分の家を見つけるのかなと思いました。
やどかりになれるのはうらやましいなっていうのが、今の私の強い気持ちです。私はまだ家を出ていくことが出来ていません。それも鎖のイメージにつながっているんだと思います。女はやどかり、でもやがて殻を棄てて、終の住処を手に入れる。そのやどかり生活を、私も早く始めなければいけないなあと思っています。

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