見出し画像

はじめるためのおわり。

ちょこちょこ、しにたいとか消えたいとかおもうことがあって。ただしんどいとかじゃなくて、そう思わざるを得ない出来事や状況が発生してそうなるんだけど。

そういう感情は別に押し殺したり無理に捨てる必要はないんだなってちょっと思って。ありのままでいればいいんだなと。私は100パーセントの女の子じゃないけれど、髪をのばしてもいいし、かわいいお洋服を着てお出かけしてもいい。

女性の身体で、中身が女性じゃないことは中途半端だと思っていた。し、今もちょっとまだ思ってるけど、私の男性らしさも女性らしさもうまく生かしていけたら楽しいだろうなって思った。かわいいお洋服も、かっこいいお洋服も、何を着たっていいし、私がやりたいことをやりたいようにやったらいいのねって。

男の子がかわいくあろうと努力してもいいし、女の子がお化粧に興味なくてもいいし、みんなが自分の思うように好きを追いかけたり、楽しいことを楽しんで良くて、そのみんなには私だって入っているのよ、いていいんだなって思った。中途半端な私でも、そのままいろんな私を楽しんでいいし、それを否定する権利はだれにもないのだなーと。だから、かわいいお洋服を着てもいいし、女の子じゃないから髪をのばしちゃいけないなんて思わなくていいし、好きな人に好きって言ってもいいのよって。

人として不完全だからとか、半端な奴だから人より努力しなきゃいけない、成果を出さなきゃだめだって無意識に決めつけていた。そう思っていたけど、頑張っても報われないこともあるし、それを何もかも自分がわるいって抱え込む必要もない。その頑張る姿を、努力する姿勢を、いいねって言ってくれる人もいるのだし。


なんていうかな。肩の力抜こうって思って。もっと気楽にしてていい。自分で自分はこうなんだからって決めつける必要はない。むしろ、こんなところないかなー?とか、こういういいところあるよねー!!みたいに、どんどん自分を楽しいほうへ引っ張っていきたい。挑戦してみて、だめだったらそれは学びになるのだし。成功したら、それはまた新しい楽しさになるし。もっと変われるし、楽になれるし、後ろ向きに進むことだって現在地から移動してるから前進よねって声を大にして言いたい。そんな気分。

もちろん、行動しないことを選んでもいいのよね。考えて行動したなら、なんでも自分の意志というか。


だから、私最近大宴会場の暴走列車から飛び降りたの。このまま進み続けたら、私は私で居られなくなってしまうなあと思って。走り去る列車と乗客をぼんやり見送って、しんと静かになった線路を、マイペースにゆっくり歩いていたの。やけに静かだなあなんて思っていたけど、だんだん遠くの街の明かりや、そこに暮らす人たちの楽しそうな声がかすかに聞こえてきたりして。せっけんのにおいや、月を見上げても自分のことしか頭に浮かばない感じとか、なんかそういえば忘れてたなって思ってたものがあったの。ちゃんと無くならずに、ちかくにあったのねって。私が見えなくなってただけだったんだなって、そう思ったの。


#8月31日の夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?