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ナナメの夕暮れ

僕はオードリーが好きだ。ラジオの武道館ライブに行くほどのリトルトゥースであり、毎週ラジオを楽しみにしている。オードリーの中でも、特に若林の考え方に共感する。若林正恭の無地note(月額1,000円)の定期購読している。これまで表に立っている人にここまでハマることは自分自身なかったので、自分でも驚いている。なぜここまでハマっているか書いてみることにした。

こないだのラジオで、若林はマネージャー岡田とバスケをしていて、お金を使わずに楽しいことをしたい。「経済に対してざまあみやがれ」と思う話に共感した。ラジオは2人の本音が聴けるから面白い。男子だけの会話の雰囲気も好きだ。

M1で準優勝し、一気に人気芸人になった。ズレ漫才は新しい発明で面白いと思っていた。僕はアメフトをしていたのでアメフト経験者の芸人ってことでおもしろいし、応援したいなと思っている程度だった。スーパーボウルの中継はすごく羨ましい。


ハマったきっかけは「社会人大学人見知り学部 卒業見込」という書籍である。まず若林の文章がすごくわかりやすく、読みやすい。きっといろんな本を読んでいるからだと思う。例えば、スタバでグランデと言いにくいだったり、飲み会が苦痛で断る方法を考えたり、普通の人は疑問に思わないことに対して疑問を持つ斜に構えている若林が少しずつ成長していく姿が書かれている。この本は自分自身も共感する部分があった。同時に自分の無知さや、自分自身を理解できていないことに気づいた。

自分が、社会に対する違和感を感じていることを若林の文章に共感することによって気づいた。それまでは、組織にいたらその組織での正解の自分を演じていた気がする。チームでいうと、監督の求めている選手になろうと心がけたり、友達の求めている友達になろうとしてみたり。監督の求めている選手になろうとしすぎて、本来監督と、後輩をつなぐ役目なのに、監督側に寄りすぎてバランスが悪くなっていたと思う。そうしているとオフになった時に、本当の自分が何なのかわからなくなる。ありのままの自分を全員にさらけ出す必要はないが、一緒に生活を共にしていた仲間はありのままの自分はさらけ出せていなかった。その若林が感じる違和感を押し潰しながら生活していたから、気づいた時にはいろんなことに疑問を持つようになった。

コテンラジオというラジオで話していた話で、人生をゲーム的に捉えているとという話がとても参考になった。それは、組織が変われば、話す相手が変われば、ゲームのソフトを変更する感覚で生きる。ありのままでは生きていけないけど、ソフトを変える感覚を持てば、自分自身を見失わずに済むと思った。


「ナナメの夕暮れ」ではナナメを卒業するまでのエッセイである。若林は、2009年頃、センスのある芸人になりたいと思っていた。

「理想の自分に追いつこうとしているから、今日の自分を生きることなく、常に未来の具現化されている未来を生きている。だから、今を楽しめなかったんだな。」

僕も未来の自分を描いて生きてきたなと思う。常に周りに負けたくなくて、もっとできるはずだと思って生きてきた。当時は、今の自分を受け入れることができなかった。今を生きるというのはとても仏教的だなと思う。諸行無常(世界のあらゆる事物は常に変化し続けるもので、永遠ということはない)


「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

キューバへ旅をするきっかけは若林が東大生の家庭教師に教えてもらったそうだ。そこで「新自由主義」という言葉を知り、その仕組みのせいでもがいていたことに気づいた若林はまったく異なるシステム(社会主義)で成り立っているキューバへの思いを強くした。キューバの情景や人間との会話はすごくイメージがしやすい文章でとても面白かった。若林はそこで、社会主義でも結局は家柄やコネが生きやすくしていて、結局構造は異なっていても競争はどこに行ってもあることに気づく。生まれが関係なくお金さえ稼げれば、のし上がれる資本主義の方が平等なのかもしれないと僕は思った。


子供の頃に父親の顔色を伺って野球をしてたり、日本語ラップが好きなところや、西加奈子や朝井リョウが好きで、アメフトが好きなところ。それらの熱い部分が好きだ。(全部僕と共通する部分です)悩むところや好きなものが同じで、自分以外にもこういう人がいるのかとすごく安心してしまう。その人の悩みが解決される様子を本を通して知ることで勉強になった。若林はすごくバランスを意識していると感じる。ゲストの人の特徴に合わせて立ち位置を変えることができる。春日との漫才と山ちゃんとの漫才は別人のように思う。そんなバランスの取れた人になりたいと思う。

これからも、オードリー若林を応援していきたい。


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