本音の意見交換

友達の結婚式に参加した直後に青山のアンティークマーケットへ行った。
そこで手に入れたどうしようもなくカチカチ音のうるさい時計について話そうと思ったけど、どうしても自分の気持ちが張り付いている事があるのでそれについて記してみようと思う。

結婚式は新郎新婦共に知り合いで、共通の友人が多いので来ていた人の沢山も知り合いで、久しぶりに集まった、という感じになった。

そんな中で楽しく進んでいたんだけど、ある話題で少し熱っぽく話が進んだ。

ある行為へのフィードバックという形でそれは行われたが、それは相手の中に反応する側面があったからなので、それを見るべきなのでは?と僕は思い、主張した。
しかし相手としては、自分もそう感じたし、他の人もそう思った人もいるだろうから、あぁいうのは避けたほうがいいんじゃないか?という視点だった。

いや、確かにわかる、わかるが、それは相手の反応じゃないのかな?という気持ちが消えない。現に自分自身はそんな意識がほとんどなく、指摘されても、はて?という感じだった。

基本スタンスとして、相手に合わせて何かをする。という行為は、トータルで見るとマイナスに働くことが大きいように考えている。
自分の内側を外に出して、合うものは合う、合わないものは合わない。というスタイルで物事を進めたほうが双方いいのでは?と思っている。
そうしていると何かとぶつかることは避けられないので、ちゃんと感じながら進めるということも2番目に大事だと思う。
しかしそれでもぶつかる事がある。

だがそれがわりと好きだ。ただぶん殴るみたいにぶつかるんじゃなくて、ちゃんと意見を言って、議論して、ベストを見つける。ということが関係性を強くさせ、思考力を高めてくれる。と思っている。なので、ちゃんと主張してくれて、考えれて、ちゃんと信頼がある。という友人がいるというのがとても大事だ。

今回はそんな数少ない友人だと思っているやつとのやり取りだった。だが相手は一向に自分の意見が正しいという姿勢を曲げない。そして、それをさらに超える勢いで自分は曲げない。出来事自体は自分に関することだったので、より曲げたくない気持ちも加わる。

しかしね、冷静になって考えてみたい。ここで。
ふむふむ。相手の主張は確かに一理ある。そしてそれは、それを避けたほうが和也のためになるよというニュアンスも含まれている。ふむふむ。

自分の内側を外に出して共感してもらうということを大事にするアーティスト的側面の強い自分のスタイルかつビジネスモデルに対して、その彼はより多くの人に届くにはどうするべきかということを大切にするビジネスモデル、それに伴う思考がメイン。

大きくそこの違いあるように思える。

相手の中に反応があったから、それを指摘して来た。それは確かにそうなんだと思う。しかし、それは他の人にも起こる反応であるということもかなりあり得る。
理想を思い、そこを直視して進むということはとても大事だが、同時に今を見る。というのもとても大事だ。なんなら後者の方が大事だという視点もある。

そういう意味で彼のいうその視点は大事な側面なのでないだろうか。さらに、それは僕自身への思いから生まれるフィードバックであるならなおさらだ。

そしてこの出来事を通して一番、避けたいと思ったこと、そうなったら悲しいなと思ったことは、

そんな意見交換をしてくれる貴重な友人が、あぁこいつには言っても仕方ないなと思われて、本当の意見を言ってくれなくなることだ。



会ってちゃんと謝ろう。

しかしこの時計、ほんとうっさい!


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