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猫が死んだ次の日、僕は面接に受かった

米津玄師さんの歌で「海の幽霊」という歌があるのをご存知でしょうか?

その歌の歌詞の一節に

開け放たれたこの部屋には誰もいない 潮風の匂い滲みついた椅子が一つ

というものがあります。

ある地域で、死者は海から帰ってくると信じられており、死者を迎える日に砂浜に椅子を置いておくのだそうです。

さて、皆さんは歌によって思い出す記憶ってありませんか?BUMPを聞いて中学のとき好きだった人を思い出したり、秦基博を聞いて高校の階段広場を思い出したり、それぞれの曲が持ってきてくれる自分だけの情景やその当時の感情があると思います。

僕にとっての「海の幽霊」はカイという飼い猫が亡くなったことを思い出させてくれる曲です。

僕が高校2年生の頃に来た二匹の兄妹猫(カイとソラ)は我が家のアイドルであり、家族であり、かけがいのない宝物でした。部活や遊びやらで大学時代ほとんど家に居つかなかった僕ですが、家に帰れば、猫を探しては撫でに行き、逃げられては拗ねるを繰り返していました。懐かれてはいません。だって家に居ないもん。うるさい。

大学6年生の4月頃、一階の物置のような客間でインターンの作業をしたりWebOB訪問などの就活作業をしていたのですが、なぜかカイくんはいつも僕の隣でちょこんと座ってくつろいでいました。

【歓喜】ついに、猫氏我に懐く

などとツイッターで吹いて回り、めちゃくちゃ喜んでました。様子がおかしいなんて微塵も思っていませんでした。

5月になり、親が猫の健康診断から泣きながら帰ってきて言った一言が今でも忘れられません。

「カイ君、あと二週間も生きられないって」

初めは何を言っているんだろうと思いましたが、よくよく聞くと骨髄系の病気にかかりうまく血液を運べなくなっており、気付いた時にはもう遅かったそうです。

あまりの突然さにバタバタしている間にカイ君は寝たきりになり、夜は家族交代で様子を見守り、カイ君の鳴き声で全員が目を覚まして一階に集まる生活が何日か続きました。

最後の最後はトイレにもひとりで行けず、抱えられながらトイレに入れられては嫌がってニャーニャーと鳴く姿が、文字の通り最後の力を振り絞って鳴いているようで涙が止まりませんでした。

カイ君は8歳という若さで2020年5月18日早朝に亡くなりました。

すぐに火葬場に持っていく気にもなれず段ボールに保冷剤を敷き詰め、なるべく劣化させないようにして、二日ほど撫でては泣いてを繰り返し最後に火葬しました。

祖父や友人の死など様々な死を体験してきましたが、ここまで生活に根差した命の終わりを体感したことはなく、今までそこにいたものがいないという経験は、探している物が何かわからないまま何かを探しているかのような感情と今までの自分の行動への強い後悔を運んできました。

いまだに、妹猫であるソラは夜になるとカイを探しては甘える声で鳴いています。

結局、何が言いたいのか。

死は、静かに、隣にいる。突然やってきて、何もなかったかのように消えていく。だからこそ、カイは、自分にとって大事なものや人は何なのかをしっかりと考えるきっかけと愛することの怖さを教えてくれたと思います。

カイが危篤の中泣きそうな顔で受けた面接の結果はカイが亡くなった次の日に合格の結果が来ました。日々は何も変わらずに過ぎていきます。その中でふと立ち止まって考える時間をくれたこの経験に、感謝したいと思います。


長くなりましたが、最後に「海の幽霊」の最後の歌詞で締めくくろうと思います。

風薫る砂浜でまた会いましょう




流石にオサレすぎたかもしれない。(よかったら「海の幽霊」聞いてみてね)


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