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リクエスト制度に”リクエスト”したい話

「どうだい?野球は楽しくなったかね?」

野球っていうのは「個人競技の集合体」である。

そういうと大抵「え!?うそうそ、チームスポーツでしょ?だって9人でやるんでしょ、野球って?」みたいな反応が帰ってくることがほとんど。秘密は野球というスポーツを「どの角度から見るのか?」にあるんです。

投手はもちろん自分の投げる球により試合は進行していくし、打者はそれぞれの打席が必ず試合の中で与えられる。そこで行われる「個人同士の駆け引き」が連なって、チームとしての形をなし、その攻防によって得点が与えられる。そして良くてたかだか”3割程度”という確率を眺めてながら、この人間VS人間のスポーツに対し、人間がまた声援を送るわけです。

もちろんスポーツである以上、その中にはルールが存在し、それを公平に裁く番人である審判が存在する。

その番人である審判にはテクノロジーの進化によってなかなか難しい立ち位置を強いられてきているのです。

野球はリクエスト制度によって楽しくなっているのでしょうか?
個人的には「正しく」はなってきているけど「楽しく」はなっていないという印象です。

やっぱり【間違い】もまた乙である。

これまではアウトかセーフか際どい場面は正直そのジャッジの妥当性を含めてスポーツのエンタテインメント性を高める余白として機能してきた側面もあります。

ただ世の中一般的にはテクノロジーが進化してその応用の場として色々なところに正確性が担保されることとなり、野球界においても「リクエスト」という制度が正式に登場したわけです。

まぁ、平たくいうと「際どい判定は一回ビデオで巻き戻して見ません?」って依頼する権利が与えられる事となりました。

でもね、野球って”流れのスポーツ”でもあるので、リクエスト制度によりそこを楽しめる余裕や余白が無くなっているように感じてしまうのです。
個人的にはこういうのはあるある種の”わびさび”的な味であると思うのですが。

「間(ま)」を楽しむ、”野球ってもん”の味

これには野球人気の低迷っていう問題もあるのだろうと推察しており、そもそも野球というものに対しての許容度が著しく低下してきているのもあるのかも。

昔は「ドラマが時間どうりに始まらない!野球中継延長のせいで!」みたいなこともあったけど、なんだかんだ野球中継見ている(野球に触れる)環境は当たり前。

ただし、今は【ただの長い時間やるスポーツ】という捉えられ方と技術革新に伴う世の中のあらゆるものの”最適化の波”に野球というスポーツも飲み込まれている印象。

誰もが知る名言「野球は九回ツーアウトから!」という状況は今や、肝心な九回ツーアウトの時にはすでに野球中継は終了していることがほとんどですし、実際に観戦していても、選手たちの偶発的なプレーに対して起こる微妙な判定は”機械的に正しく”処理されて進んでいく。

本来はそういう試合中に展開される”微妙な間”も含めて野球であり、ドラマティックであり、人間味が映し出され親近感を覚える・・・みたいな光景がもっとあったような気がします。

野球という本来のスポーツ独特の”繊細な味付け”が味わいづらいようになっているように思う次第です。

ついにはアメリカでは審判の機械化が実際にテスト段階に入ったと。

個人的にはこれからも人間が人間たちのやる曖昧模糊とした部分も含めて、そして見ている人々もそれらを”エンターテイメントとして”許容できるようなスポーツ・野球であってほしいと願うばかり。


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