「自分はなんてダメ人間なんだ…」を経た今のタスク管理
7/30(日)に東京ライフハック研究会 vol.20に参加してきました。4年ぶりの開催だったそうですが、2年前に関東に引っ越してきた私は今回が初参加となりました。テーマは「タスク管理」でした。
「やりたいこと」をやるためのタスク管理
会社員を辞める前は「定時で帰るため」がタスク管理をする目的でした。やりたいわけではない会社の仕事をなるべく短い時間で終え、早く家に帰って自分のやりたいことをやるためのタスク管理。その目的を掲げていた頃は「ダラダラしてしまった時間」は『悪』でした。
しかし、これが良くなかった。
「ダラダラしてしまった時間」を減らせば自分の「やりたいこと」ができると思っていました。「ダラダラしてしまった時間」が昨日は何時間だった、とレビューしては自己嫌悪に陥っていました。でも、そうすれば自分は「やりたいこと」だけをできるようになると思っていました。
今考えるとそんなわけはない。ダラダラしなかったからといってその時間をまるっと「やりたいこと」に充てられる根拠はどこにもありません。
ダラダラしてもいいし昼間からゲームしてもいい
自己嫌悪に陥ることが増え、何のためにタスク管理をしているのか分からなくなってきた私はレビューをやめました。「昨日は○時間ダラダラして、やりたいことは△時間しかできなかった」と記録を振り返るのはスパッとやめました。
タスクシュートで記録をつけるけれど、ただつけるだけ。1回起きたけど朝ご飯食べて二度寝したらそれを記録する。お昼ご飯食べて仕事する気にならなくてベッドで横になって漫画を読んでいたらそれを記録する。仕事終わってないのにゲームしたらそれを記録する。ただ記録するだけ。記録に対して評価はしません。「眠かったんだね」「漫画読みたかったんだね」「ゲームしたかったんだね」で終わりです。
(たすくまはタスクに対して「○」か「×」の評価をつけられるけど、全タスク「○」です)
すると不思議なことに、以前「ダラダラしてしまった時間」と評価していた時間は減りました。ゼロにはなっていないけれど、自分を責め続けていた時期よりは明らかに減っています。釈然としない部分もありますが…「何に時間を使うか」はコントロールできるものではないのかもしれません。
何故私はタスク管理を続けているのか
「やりたいことをやる」という目的がなくなった今もタスク管理は続けています。予定はGoogleカレンダーで管理し、忘れると面倒なことになりそうなタスク(特に支払い系)はTodoistに登録し、日々やることはタスクシュート(たすくま)で管理しています。
ダブルブッキングになると困るのでGoogleカレンダーを使う。支払いを忘れると手間が増えて後々面倒なことになるのでTodoistに登録してGoogleカレンダー経由でたすくまに表示させることで思い出せるようにする。
タスクシュートはやめてもいいかも、と考えたこともありますが、私は「さっきまで何してたっけ???」となりがちなので「今何をしているか」を意識するために続けています。記録をつけているのはもはやただの趣味です。
仮に支払いタスクを忘れても自分を責めることはしません。忘れるよね。人間だもの。手間は増えるし、ものによっては手数料もかかるかもしれないけど、忘れても何とかなります。死にはしない。なら大丈夫。
この「なら大丈夫」を持ち続けるためにタスク管理を続けているのかもしれません。忘れてしまってもそこからリカバリできる。Todoistに登録を忘れていても直前に思い出せることも多い。やりたいことを今できていなくても「本当に」やりたいのであればいつかやる。だから大丈夫。
「自己肯定感を上げる」とはちょっと違いますが、、不安を少なくするためのタスク管理とも言えるかもしれません。「タスク管理ツールに全部入っているから大丈夫!」ではなく、「全部入っていないかもしれないけど、死にはしないから大丈夫!」となるためのタスク管理というか…。矛盾しているようだし、やっぱりタスク管理要るのかな?とは考えますが、まだしばらくはタスク管理を続けていきそうです。
いただいたサポートは創作活動の継続にあてさせていただきます