「社会不適合者」は、「悪」なのか

BBCの「SHERLOCK」では、主人公のシャーロック・ホームズが、「お前はコレコレこういう人間だ!」と言われ、抗議する様にこう言い放ち、自身のアイデンティティを示しました。
「違うぞ、そうじゃない!私は社会不適合者だ!」
素晴らしい形の自己肯定の形だと思いました。目が覚める様な思いがしました。

Sherlock and John's First Meeting | A Study In Pink | Sherlock | BBC


「社会不適合」であることは、=(イコール)それすなわち「悪」なのでしょうか。私はそうも思えません。その人においては、運命のいたずらなのか、偶々に社会不適合に生まれただけでしょう。社会不適合者である事は=(イコール)「犯罪者」ではありません。ならば、周りからズレている事ぐらいなら、十分に許容範囲ではないでしょうか。え?そうじゃない?そう思っているあなたも、社会不適合なのでは?なら、仲間だね!
もしも社会不適合に寄りで、周りに嫌な思いをさせている人は、そうであるのならば、自然と周りから人が離れて行きます。そういう形の「社会不適合」が、自身でも嫌ならば、それは自らも進んで修正するしか道はありませんよね。そうするしか道は無いです。
つまりですね、一言に「社会不適合」と言っても、その形は多様であるという事でもあります。

「何故、社会に対していつも常に適合者であらねばならないのか?」という問いは立てた事はないでしょうか?
日本社会の悪い面は、考慮した事はあるでしょうか。

「同調圧力が強過ぎる」
「生き残ることより大事な事は、ムラ社会への帰属」
「”個人”という考え方が、広まっていない。理解も進んでいない」
「社会や世間に対しての、酷過ぎるほどの無関心」
「支配と被支配の関係になり易い。一つ年上に対しても、隷属させられる面がある」
「誰かがやってくれるマインドセットが常であり、自分からは動かない」

 あ〜、挙げ始めると、キリが無い!

それ等に全て適合させて行くと、どうなるかは、既に結論が出ています。かなり高い割合で精神を病みます。かなり高い割合で、家と外とで、二重人格者になります。

そうすると、生存戦略的には、人格統合的には、どうしたら良いとなるでしょうか。
「適度に(?)社会不適合である事の方が望ましい」となります。
人生は一度しかありませんから、自分の選択を後悔しない様にしたいところですね。

さぁ、あなたは今日からどう生きますか?素晴らしい社会適合者として生きて行くのでしょうか?それとも…



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