マガジンのカバー画像

小説『交差する真実』

16
原稿用紙換算 272枚
運営しているクリエイター

記事一覧

交差する真実(目次)

若くして病気で死んだ愛しき兄。その兄と何気ない会話で交わした 「あいつがなにかあったとき、慰めてやってくれ」との約束を守るべく、 落ちこぼれた兄の親友のためにわが身を捧げる女――。

プロローグ――『交差する真実』

〈4730文字〉 「――というわけだ。もうわかるね、きみに一緒に来てほしいんだ」 「……」 「きみが返事にためらう気持ちもわかる。もっと早くに伝えるべきだった……。それに関しては、ひとえにお詫びするばかりだ――申し訳ない。落着するまでは、どうとも言えなくてね。ちょうど、きみのお店にお客さんが増え始めた頃だものな。でも、来てくれたからといって、きみが仕事をやめる必要はない。向こうでまた店を構えたらいい。前回はわずかばかりしか都合がつけられなかったけど、今度はぼくが準備に必要な

1-1――『交差する真実』

〈9701文字〉  市崎恵介は、低血圧には程遠い人物である。瞬きもなく仰向けの状態で目覚めた彼は、枕の上で首を回し、覚醒一番頭上にあたるベランダ窓に目を向けた。目こそ充血していたが、目覚める十分前から微動だにせず、さながら身体のほうは準備ができていて、そこに意識の到来だけを待ち構えていたかのようであった。遮光カーテンの端から漏れる朝日の加減で、時刻と空模様を読みとった彼は、ハンカチほどの大きさで身体を覆うタオルケットをはぎとった。折った肘を伸ばしてムクリと上半身を起こす。身

1-2――『交差する真実』

〈9864文字〉  その日を機に、ディーラーに近づくと、彼は店舗から離れた車道側を歩き、過ぎゆく車のタイヤホイールを見比べつつ、できるだけ早く店の前を通り過ぎることにした。本当は、店前を避け、対岸の歩道を通りたかったところだが、そうまですると次の信号まで、五百メートルは歩かねばならず、八百メートル近く無駄歩きをさせられることになった。ただでさえ、このとき恵介は空腹の状態である。しかもその信号は押しボタン式で、変わるのも異常に遅かった。  こうして、行きと帰りの一部区間だけ早

2――『交差する真実』

〈2463文字〉  一ヶ月後――。  残照に染まる夕暮れ時、駅に向かって帰宅の途についていると、駅前のマンション街の一角に設けられた、申し訳程度の公園のベンチに、肩を落としてうなだれる男性の背中を見つけた。最初は特に意識もせず、ビル間にひらけた三つの遊具しかないわびしい公園を見流しただけであったが、その背中に引っ掛かるものを感じて、間隔の狭いタイサンボクの切れ間から、ベンチに向かって目を凝らし続けた。――と、長田真実は、突然靴を鳴らして、その場に立ち止まった。彼女は、その理

3(回想)――『交差する真実』

〈4884文字〉 「ああ、もう! なんで忘れちゃうかなぁ」愛莉は足を踏み鳴らすようにしながら、通学路の真ん中を闊歩していた。内省は、ときに声となって口から漏れ出たが、大通りの広い歩道、運よく近くに人はいなかった。「ちゃんと玄関の靴箱の上に、折りたたみ傘を置いてたのにぃ。そうよ、お母さんがいけないんだわ。自分じゃ聞こえない台所にいるくせに、いちいち呼びつけるから。『いよいよ美容院の予約しなきゃね』なんて知らないわよ。んもう、さんざん言ったのに――参観日は再来週の木曜日だって!

4――『交差する真実』

〈9121文字〉  それは魔法としか思えなかった。心を覆っていた暗雲が、一陣の風にさらわれ、一気に取り払われたかのようだった。心の状態はお日様の照る快晴とは言わないまでも、星の瞬く夜だった。その夜と次の朝で、彼は何度鏡を見たかしれない。顎を下げても上げても、斜に構えるように頬骨を片方ずつ突き出してみても、大したことのない十人並みの顔である。痩せていた小学生の頃は、少しだけもてた経験もあるが、それも低学年までだった。高校の頃、それまで日常会話を一度も交わしたことがなかった女子

5――『交差する真実』

〈14425文字〉  家に帰りつくと、恵介はスリープさせていたパソコンを起動させ、一分で部屋着に着替えるや、すぐさま机に向かった。『にやけるのは就寝前でいい』――帰り道、そう決めたのだった――『おれにはこれしかないんだから』。シナリオはできあがっているのだが、何かが足りない。どうしても物語が浮薄に思えるのだった。登場人物の足音が、彼にはまだ聞こえてこないのだった。  画面と三十分にらめっこし、あきらめてベッドに身を投げ出した。枕をはしっこに払いのけ、両手を頭の下に組んで、遠

6――『交差する真実』

〈9585文字〉  寝入りばな、突然目を見開くと、恵介はベッドの上でガバッとばかり上体を起こした。廊下の先、暗闇の中で鈍く光るドアノブを見つめながら、彼は声に出してつぶやいた。 「あれは――、彼女があそこまで、あんな人気のないところまで見送ってくれたのは、『キスしてもいい』って合図だったんじゃあ……。そ、そうじゃなきゃ、あんなところまで、彼女が先導する形で見送るだろうか? いや、おかしい。わざわざ見送る必要性がない。男女が逆ならまだしも。結局おれは、彼女が駅に入るところまで

7(回想)――『交差する真実』

〈4170文字〉  給食後の昼休み、教室に留まった生徒たちは、斑模様にグループを作って、それぞれの話題で各々語り合っていた。その一つ、窓側の前から二番目の席の生徒を囲うように、四人の男子が歓談していたが、次第にその声が大きくなり、別のグループの注意をひくようになった。 「行けって!」 「行ってこいよ、平丘」 「馬鹿言うな、なんで今!」 「そういう約束だったろ?」 「ちょうどいらっしゃるじゃねぇか」 「今日、払ってもらいたいんだろ?」 「別に……おれは来週でいいさ」 「強がん

8――『交差する真実』

〈3169文字〉  夜中の十二時一分前の着信に、恵介はワンコールで電話に出た。遠路はるばる来た客を出迎え抱きしめるように、有無を言わさず彼から話しかけた。 「こんばんは。きみからかかって来るのをずっと待ってた。自分から出て行ったくせに、なんて情けない男だろうね」 「こんばんは。わたしはもう電話に出てくれないんじゃないかって、ずっと心配していました。どうしても、このまま明日なんて迎えたくなくて。恵介さん、わたしの知りたいのは、これだけです。もう――これっきりってことはないです

9――『交差する真実』

〈8279文字〉  来店予定者の数やチラシ配布の有無などにより、真実のほうが週末空かない日もある。半月前に翌月の出勤日が決まるのだが、彼女を指名する客も増え、急きょ出勤せねばならないこともあった。とにかく真実に迷惑をかけたくないとの恵介の要望で、二人はデート前に、一回ないし二回、それも夜九時以降に電話で連絡を取り合うことしかしなかった。  その電話は、デート翌日という、これまでかかってきたためしがない曜日で、時間帯も夜八時と早かった。  恵介はキーボードから手を離し、ベッド

10(回想)――『交差する真実』

〈4124文字〉  一昨年、柊一の祥月命日――。  同じリンドウの花を見たのは、二回目だった。墓前で美しく咲くリンドウの花をつぶさに観察した麻美は、それが当日ではなく、前日に供えられたものであろうと推測した。大切な兄の墓に、突然供えられるようになった花――。それもわざわざ命日を避けるようにして――。麻美としては、誰がどういう意図でおこなっているのか、確かめておかずにはいられなかった。  それから一年――正確には一日足りない――が過ぎ、彼女は朝から霊園の管理事務室で、兄の命

11――『交差する真実』

〈3027文字〉  空くことになった日曜日は、前日の寺塚翼からの誘いもあり、午前中は早起きして勉強に勤しみ、午後は息抜きがわりに翼と天神を街ブラしたあと、一緒に夕食をとり、夜にまた問題集とにらめっこするつもりでいた。  パスタの店に入って、注文を終えた段階で、麻美は今日、翼と会ってからずっと気にかかっていたことを切り出した。 「もう、なんなの。わたしの視線を避けるように溜息ばかりついて」 「ううん、別に――」 「なに? もしかして、会社で好きな人ができたとか?」 「女ばかり