2023年もたくさんの青い空を見ることができました

RUN

どんな色も入る隙がないほど青一面の空が好きだ。そして、そんな日の空を眺めていると、泣けてくる。あまりもまばゆさにそうなるのか。そんな青い空の下を胸張って歩けるような日々が送れていないことへの後ろめたさからか。上手くいってい日々では、その青さが祝福してくれているように感じられるからか。いずれにせよ、空が青いという事実だけで、泣ける。

きっとずっと前からそう感じていたようにも思うが、それを実感させてくれた曲が「RUN」。

青い空に泣けてしまう
いつか晴れた空の様に
もっと もっと笑顔になりたい

だから走り続ける

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

そう、空が青いという事実だけで、青い空がそこにあるというだけで、人は泣ける。初めてこの楽曲を聴いた時に、この歌詞に触れて涙が止まらなくなった。相方と2人で旅行中に聴いたのだが、一緒に旅行していたもう1人を完全に置き去りにするほど、2人で泣いた。
TERUは、空が青いということは、
空が笑っている状態であると思っていて、そんな空のように笑顔でいたいから走り続けると歌う。
このいうタイプの歌詞はきっとごまんとあるだろう。TERUの純粋な感覚が捉えたことだから、この事実に同じ思いを懐く人も多いはず。それなのに、なぜにこんなにも泣けるのか。
それはきっと、この楽曲がリリースされたのが2009年で、GLAYがデビューから15周年を迎えた年だったから。この年のGLAYは非常に活動が密で、これまでとは異なることに果敢に挑んでいた。前回のアニバーサリーイヤーの年以降、納得のいく活動ができないことも多かったと聞くから、それを乗り越えて15周年。その経験を経たからこそ、空が青いという事実一つとっても、それをプラスの力に変えて前に進もうとする決意が歌詞の中にも滲み出ている。だから、この歌詞が人の心の中にある小さな感情に火をつけるのだと思う。そして、その火を燃料として、人はまた走り出す。

音楽の技術的なことはわからないが、楽曲としては非常にシンプルであると感じるが、細部にまでこの楽曲へのリスペクトを感じる(もちろん、細部にまで神経を行き届けているのは毎度のことではあるが・・・)。Aメロの跳ねる様なベースが、大サビ前のDメロの様な部分では、地にへばりついて、たとえ匍匐前進だったとしても少しずつ進んでいくような地道さを表現しているように聴こえ、空にまっすぐな光を返すような直進ギターも、Dメロでは、表面は真綿で撫で、内面は徹底して鼓舞してくれるアプローチをする。最後のサビの上記の歌詞に向かうための道筋をDメロに伏線の様に張り巡らせて、大サビで一気に回収にかかるような感覚。
それは、楽曲のストーリーをGLAYにしかできない唯一無二のものにするため。
この楽曲を皮切りに、TERUは空への気持ちを綴った楽曲を次々にリリースするが、どの楽曲も親は、この「RUN」ではないかと思う。

#GLAY #RUN #青い空に泣けてしまう #走り続ける

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?