低音の扉が開いた瞬間
coyote, colored darkness
初めて聴いた時、瞬きが止まらなかった。ある意味で現実感がなかった。JIRO氏が『BEAT EMOTION』を聴いた時に腰抜けたと表現するが、割と感覚として近いかもしれない。何か得体のしれない感覚が体中に駆け巡った。
GLAYの楽曲のイントロでいわゆる「雷に打たれた」楽曲はさほど多くなく、それこそ、GLAYを好きになるきっかけになった「Together」のピアノとこの楽曲と「BEAUTIFUL DREAMER」くらいか。大好きな楽曲は、それはそれはたくさんあるけれど、初めてイントロ聴いて膝から崩れるような衝撃は限られている。
最近、GLAY Mobileの方で、この楽曲についてHISASHIが弾いてみた動画をアップしていて、ギターについての解説をしているが、そこで初めて「7弦ギター」を知り、「coyote, colored darkness」だけはそのギターで弾いているという事実に触れた。7本目の弦の役割を聞くと、今の重々しい妖艶で真っ赤な照明が似合うイントロは、このギターでないとダメだなということを思い知らされる。それくらい、このイントロのカッコよさというか、ダークさにおいては、この楽曲を語る上では欠かせないもの。楽曲を勝ち負けで判断するわけではないが、あのイントロができた時点で、もう「coyote, colored darkness」の勝ちは決まったも同然。それなのに、そのあとの展開もまた、心を掴んで離さないわけで。
それは、ベースとTERUの低音。ベースはイントロの途中から入っているのだけれど、この楽曲におけるベースは、他と比べるとちょっと目立つわけ。でも、その目立ち方が絶妙なのさ。TERUのボーカルが入るとすっと後ろに下がり、さりげなくそのベースの音が分かる程度のアプローチになる。
もともと目立つようなことばかりをしているベースシストではないが、この楽曲については、自身の存在の印象づけをしながらも、影でTERUの低音に彩を出す役割をきっちり果たす。アウトロのベースだけが余韻のように残るところも好き。その時間が永遠に続いても良いかもと思えるくらい幸せな気持ちに陥る(楽曲イメージは幸せを連想させる楽曲ではないが、ラストにベースの見処があるとついつい・・・)。
そして忘れちゃいけない、忘れられないTERUの低音。
TERUといえば、その象徴はやはり伸びやかな高音。GLAY楽曲を歌う前に、あらかじめカラオケマシーンに原曲キーは難しい旨を入力しておく必要性があると思うくらい、本当に高音が出ない。
そのTERUの最大で最高と言わしめた高音ではなく、あえて低音で勝負に出た結果が大当たり。TERUの低音の市民権をえた楽曲は間違いなく、「coyote, colored darkness」だと思う。これによって、TERUの魅力は有無低音の色気にあることも認知され、ボーカリスとしての新たな道を開くことになったきっかけとも言えよう。
何度聴いても、AメロのTERUの声が入ってくるところは、鳥肌ものだ。