親の苦労がわかると歌うバンドだから今も尚、背中を追い続けている

Father & Son

この頃 親の苦労が少しわかる気がして

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と歌うロックバンドがかつていたのだろうか。
ロックバンドに対するイメージは人によって異なるとは思うが、それにしても「親の苦労がわかる」と真正面から言えるのは、本当に音楽の力を信じているからこそのことなんだろうなと思ったりする。
ロックじゃなくたって、日々の生活の中で、「親の苦労がわかるよ」という言葉を使う場面は、そう多くあるものではないし、自身が人の親になった時にはぐっと使う頻度は増すだろうが、この詞が世の中に放たれた時には、確か詞を書いた本人は、親にはなっていなかったはず。それにもかかわらず、親の苦労がわかると、「気がする」だったとしても、親の苦労に言及できるロックバンドの潔さが、私は好きだ。
ロックだからという定義に縛られて、本当に外に向けて伝えたいことを飲み込んでしまっていたら、それこそ、ロックじゃないよな。
そして、メンバーが作ってきたこの楽曲を世にリリースしようとその想いを汲むメンバーについても、その姿がロックだななんて思ったりする。

サビの頭の歌詞だけではなく、全体的にちょっとふわふわとした軽めの印象があるが、歌詞の中に重みがあるからこそ、あえて楽曲はライトな感じにしているこのバランスこそが、日々感じていることや伝えていきたいことをエンタメに昇華させていることだなと感じる。
この楽曲だって、詞の内容から、もっともっとヘビーな楽曲にすることもいくらでもできるだろうに、全体的にいい間合いで音が跳ねている感じとか、アコギで重さをあえて消している感じとか、ちゃんとエンタメの形に成立させているからこそ、リスナーにも伝わりやすくしていく。キャッチーさがほどよくあることで、音に引っ張られすぎずに、歌詞の世界に没入していくことができる。この塩梅が絶妙。
3拍目まで拍に合わせてリズムをとっているのに、4拍目のリズムが不規則になったりするちょっとした違和感を作り出しているのも、歌詞の世界観の創出に関係していないことはないだろう。
ライトでキャッチーだけれども、王道だけで進めるほど単純でもなく、でもその王道さが楽曲の大枠を作っている安心感のようなものは、結構節々で感じたりする。

最後に言いたいのが、Dメロのところの小ネタ。GLAYファンにとっては目新しさはないだろうが、当時(2002年)としては、なんて仕掛けがあるんだ!と結構衝撃だった。

あの停車場の裏の もう動かないバスで
僕をあやしてくれたのは夢だったかな・・・?

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ボーカルが「夢」と歌う後ろで、コーラスが「現実」とハモっている。一瞬なので、初めての時は大抵聴き逃してしまうだろう。ただ、先述の通り、違和感が散りばめられているからこそ、ここでの違和感については、どういう意味だろうと議論が出そうなポイントである。
TAKUROは自身の著書で、この歌詞について言及している。

https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344003514/

原体験はやっぱり強い。
志半ばだったお父様もきっと喜んでいることだろう。

#GLAY #Father&Son #親の苦労がわかる #停車場のバス

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