片道の切符が意味すること(決してネガティブだけではない)

May Fair

そして片道のチケットを握りしめた

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

こういうちょっとしたところに、直接的ではない意味が隠れているのがGLAY楽曲に深みがある所以。そう、片道なんですよ。往復ではない。行った先から戻るつもりがないという決意。この直接的でないところに、作者としての強い覚悟のようなものを感じる。表には出さないけれど、きっと心の中で強く思っていること。それをちゃんと歌詞の中に込め、受け手に託す。リリースした瞬間に楽曲はリスナーのものにも姿を変える。そうなったら、もうリスナー自身の解釈で楽曲はどんどんと進化していく。進化の仕方はさまざまだろうが、自身が伝えかったことが伝わるように、でも全部を言葉にするのではなく、想像で補える部分は余白を残して、でもちゃんと解(作者の目論見や意図)にたどり着けるような絶妙なパスを出す。このバランスが絶妙だからこそ、自身でたどり着けた時には、ガッツポーズものなのだ。

とても爽やかで、やわらかい風を感じさせるのは、バイオリンの弦の音の涼しさだろうか。野外で風に吹かれながらマイクスタンドを握るTERUの立ち姿がイメージできる。だから、この楽曲って、野外が似合う。ちょうど、春が色濃くなってくる頃の、長袖が半袖かを迷うような季節。ちょっと走るとすぐに体が温かくなるから、半袖で十分だけれど、家を出るときは、ちょっとばかりヒヤッとした感覚があったから、カーディガンあたりを羽織って行こうかなという季節。花の香りで鼻が喜ぶ感じ。花粉もちょっと落ち着いているので、春の空気の心地よさを感じられる季節をスッと運んで来てくれる。

ずっとずっと柔らかさを保っているの楽曲に力強さが加わるのが、Dメロ(という括りで良いかの議論はまた必要な場で)。グッとメロディが高いところに駆け上がっていくが、それを引き出しているのは、力強い歌詞とそしてなんと言ってもTERUの声。TERUの声の表情が歌詞によってコロコロ変わるところはかねてからすごいと思っているが、それが顕著に現れるのが、やはりスローテンポ目の楽曲たち。こういう楽曲はTERUが歌えば、もちろんGLAYにはなるし、歌詞の世界感にどっぷりと浸かれるのも、やっぱりTERUの声だから。高い音をより力強く、それが同時に存在することは極めて難しい中で、スッとやってのけてしまうTERUのボーカル力。それが年を重ねて声がより太くなり、一方でより繊細さを表現できるような今だから、遮るもののない野外で、ぜひとも聴きたいものだ。

Aメロ直前のベース、いいな♪

#GLAY #MayFair #5月の風 #片道の切符


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?