23年前から放ち続ける「GLOBAL」への想い

GLOBAL COMMUNICATION 

このジャケットのチョコレートが入っていた缶とか、お菓子の箱とか、まだ私の生活圏に存在している。最寄りコンビニが徒歩10分ほど、それもローカルコンビニという片田舎に居を構えていた学生の身では、ローソンなんていう全国区のコンビニまではあまりにも距離があり、最寄りのコンビニには置いていないという事情から、遠出をするという母親の同僚を捕まえて、お金を渡して買ってきてもらうという強行手段に出て手に入れた産物。そりゃ、生家において自分だけ引っ越すわけにはいかない。
楽曲との直接的なエピソードではないが、ジャケットへの思い入れが一際強かったりするものもまた、音楽が作り出すエピソードになるうる。

今聴くと、当時からグローバルな考え方を持っていて、それをアウトプットしてきているGLAYに対し、尊敬の念が大きいところ。ただ、リリースされた20年以上前の学生の身である自身にとっては、多少物足りなさを感じる楽曲だったことは否めない。GLAYらしさもあるし、変に気負いをせずに聴けるし、そこに込められているメッセージ性については頭では理解しているものの、学生の身からすれば、わかりやすくカッコよかったり、ライブでガンガン暴れられたり、とことん感動して泣いたりする楽曲に肩入れする傾向にあったこと考えると、致し方ないことだが。
いつの頃だろうか、この楽曲の深さを感じるようになったのは。それはメッセージ性に閉じず、音楽の聴き方?というか、感じ方や楽しみ方が変わってきていることが要因か。10年前の東北の野外で聴いた時は、この楽曲が空にスーッと登っていくような感覚にうるっとした記憶があるため、少なくとも10年前にはもう、楽曲が持つ持久力のようなものに心が動いていたことは確かだ。

今思うのは、このメッセージを伝えるために、あえてポップに振り切ったのだと思うし、ロックな楽曲よりもテンポがゆっくりであるのは、音楽の多様性のようなものを意識したせいなのではないかと感じる。メッセージをダイレクトに伝えるには、激しすぎる楽曲では曲が先行してしまうし、ゆったりなものであると、ヘビーになりがち。だからこそ、投げかけのようなスタイルのポップで、テンポにおいても極端さを排除するような感じ。歌詞においても、言葉数を削って、一番伝えたいことを凝縮して、今の歌詞に託す。
30代を目の前にし、これまでと同じような活動を継続することでは、バンドの進化が止まってしまうと思ったこともまた、「GLOBAL COMMUNICATION」が生まれた理由のひとつかもしれないと想像してみる。

過去に、GLOBAL COMMUNICATIONを冠としたEXPOを全国3都市で行い、GLAYの呼びかけでアジア各国からスターミュージシャンが一堂に介した、今考えると震えるような経験もしていることを考えると、この楽曲が空の下で響くのは至極当然のことと言えるだろう。
夏の青い空の下が似合う楽曲だ。

#GLAY #GLOBALCOMMUNICATION #ジャケットの思い出 #九州新門司でのライブ


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