たとえ今は遠い空の下としても

Life 〜遠い空の下で〜

「遠い空の下」という副題が妙に心地よい感覚を与えてくれるイントロ。遠くに思いを馳せる。使い込まれた表現だとは思うが、そうであるとを改めて感じさせてくれるような音。音の跳ねて、でもそこに確かに存在するような軽妙さと重厚感の両方を感じられる。印象的なフレーズというものは、得てしてシンプルなものが多い。シンプルさは、単純であることはもちろん、いかに無駄を削いで、わかりやすく伝えられるのかが分かれ道。小難しくこねくり回さずとも、誰にでもストレートに伝わる音ならば、ダイレクトと感じられる。自身の力を見せつけたいとか、技で勝負をしたがるタイミングでは、なかなかこのシンプルで、でもイメージをしやすい音を出すことが難しい。ストレートな分、見抜かれてしまうから。そこに本当の自信がなければ、削ぎ落とすことは怖いから。でも、そういう一切のしがらみのようにまとわりつく嫌なものたちを取り除くことができたなら、それが本当につたえたいことの芯となる部分で、そこに余計なものはない。それが聴いているこちらにもちゃんとわかりやすく届く。

このイントロの音階のリピートの中に現れるのが、ドラムの音。一定リズムを刻むギターとは対象に存在の有無がはっきりしている。このドラムの存在は、楽曲にスパイスを与えてくれる。メインメロディーとは異なるリズムの取り方の3拍子をベースにさせることで、別の世界からの新しい風を吹かせてくれる存在のようにも思う。想いを馳せた先にあるものは、自分の想像の範囲で考えられないものであるという事実、でもそういう存在こそが、より想像力を掻き立て、創造への道にもつながっていくことへの希望。ドラムがあのリズムを刻むからこそ実現できることだと感じる。

ちょっと機械的な音であることも、空との対比として面白い。空に接する時は、こちらにどれだけデジタルの要素があったとしても。果たして自然の中に飛び込んだ時に、そのデジタルであることが意味をなすのか。遠い空の下にまで気持ちを届けることができるのは、結局のところ、心なのではないかということを問われているようにも感じる。だからこそ、GLAYはこう歌う。

たとえ今は遠い空の下としても
たとえ今は遠い空の下としても

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空で繋がっているという事実は、紛れもないもので、それが慰めにもならないことだはあるが、でもその事実が人を強くすることもまた、事実なのだ。

#GLAY #Life〜遠い空の下で〜 #普遍のメロディ #ドラムの存在感

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