君といた日々は宝物そのもの

SPECIAL THANKS

改めてMVを観て泣いてしまった。。。
楽曲はさることながら、なぜこんなにもMVまで心の奥の方まで染み渡ってくるのだろうか。リリースされた学生の頃、大げさではなく、何千回と聴いたはずだ。10代の頃の自分ですら、この楽曲の美しさにどっぷりだったことを考えると、この楽曲の持つ力の大きさに感服だ。

どこから話そう。歌詞もメロディも楽器の音もどこを切り取っても、聴きどころだらけ。確か「とまどい」のダブルAサイドシングルだったはずだが、地上波では特に、「とまどい」ばかりが披露され、あまり日の目を見ることなかった楽曲だ。ダブルAサイドにしてしまうのは、いささか勿体ないくらい、それぞれの楽曲の完成度が高いというか。私が事務所の社長ならば、別々のシングルとしてリリースするように言っただろう。・・・と言いながらも、単独の表題曲としては、「SPECIAL THANKS」は控えめな感じもする。やはり、両A面で「とまどい」と一緒のリリースがベストだ。私が考えることなぞ、事務所は考えているだろう。浅はか。

わかりやすいところからいくと、歌詞の美しさとその歌詞に負けないメロディ。音としての「SPECIAL THANKS」が歌詞を持て余していないところがもう絶妙。これだけの歌詞に耐え切れるメロディや間奏をはじめとした楽器隊の音の作りすべてに脱帽するほど。若干20代でこれができてしまうバンドは、確かに端から見たら、そこが絶頂のように感じてしまうのも頷ける。

GLAYの歌詞の中には、「〜を」をはじめとした助詞を効果的に使い、モノや文章を並列させるものが複数ある。代表的なのは、「HOWEVER」の大サビ最後の方。「MIRROR」という楽曲の最後の(歌詞を並べた時の)4行。そして、「君にあえたら」の魂の叫びの部分etc…
これらに共通していることは、この並列は絶対に裏切らないということ、そして、その並列の言葉の選定のセンスが絶妙であること。どうして、こう並列を使おうとするのか、その真意を問いたい。

予期せぬ出逢いを 初めて朝を 無邪気な自由を KISSのあとの笑みを

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学生の自分が、この並列から何を感じ取れたかなんてことはもはや愚問で、この言葉の並びの美しさにとにかく酔っていた自分の感性は褒めたい。

そして、今でもこの歌詞がGLAYの歌詞歌詞史上において、5本の指に入るほどの名言。

誰にも過去の地図の上に忘れ得ぬ人がいる

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この歌詞の意味が本当に理解できた時、この歌詞を書いたTAKUROの持つ詞の才能にひれ伏す思いだった。だからこそ、ここは涙なしに聴くことがなかなかできない。

そして、これは語っておきたいのは、終始楽曲の下の方に感じるベースの存在。派手さはないけれど、ベースの動きが鼓動のように思える、リスナーの心に寄り添ったベースラインに心が唸る。ベースは歌詞ができあがる前にレコーディングをすることもあると聞くが、もし、この楽曲において、歌詞が出来上がる前にこのベースラインが作られていたとしたら、JIRO氏の才能にもひれ伏すしかなくなる。

また話は歌詞に戻る。

夏の向こうには 戻れない夢がある
君といた日々は宝物そのもの

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そう、君とい「た」日々なのです。このメロディに感じる切なさの理由は、そこにすべての答えがあるのです。

余談ですが、23年前の夏に、この楽曲が主題歌の映画が製作され、それを「相方」と観に行きました。23年後も、変わらずにGLAYを好きでいられ、ライブに一緒にいける日々は、宝物そのものです。

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