ライブで演奏するときのアレンジを想像してみる

Miki Piano

今、外からは雨が窓を打つ音が聞こえている。この楽曲の映像を思い浮かべると、その時の天気は雨。梅雨?秋ころの雨?夏の台風の雨ほどの脅威はなく、でもしばらく降り続いているから、気分も鬱々としてくるような雨。雨量はそこまで多くないが、なかなか上がらない。今の前を走っている人は、傘を電車にでも置き忘れたのだろうか、向かいの書店で買った本で雨をしのごうとしている。駅のニューデイズで傘を買うまでない距離か。
なんかそういうなんてことない日常をついつい想像してしまう楽曲。

「GENTEN.HAKODATE」には、Miki PianoをBGMにした動画がある。函館上空を飛ぶ飛行機の窓の風景、函館空港での景色、空港から函館市内に向かって走る車のフロントガラス越しに見える景色を、ただただ映しているものだが、この楽曲にMiki Pianoを選曲するセンスが素敵。私の中では、パシャパシャと地面を打つ雨の日を想像するが、青空が清々しい函館の景色にも似合う楽曲。
ただ、特に市内の景色は、車の中からの映像だとわかるからなのか、街ゆく人以外には人が出てこなくて、ひたすら景色だけを追いかけた映像だからは不明だが、その青空にも物悲しさようなものを感じる。傷心旅行なのか、夢破れて故郷に戻ってきたのか、この景色を撮影している人の心情は、必ずしも晴れやかではないのではないかと思ってしまう。
空はこんなにも青いのに、自身の心の中は濃い霧で霞んでいて、なんならば暗雲が立ち込めていて、場合によってはどしゃ降りで。その空の青さにちょっとした妬みのような感情を抱いているかもしれないなと。画質というか、昔のフィルム映画のようだからこそ、クリーンな気持ちでないように勘ぐってしまうのかもしれない。

一貫して、ダダッダという一定リズムのベースが、外は雨なのに、心が乾いている様子を表現しているのではないかと思ってしまう。でもそのベースは、決して嫌な感じではなく、自分の中で何かのバランスが崩れてしまっても時は同じリズムで刻まれていくように、変わらずにベースにあるものが、ちゃんと前に進めてくれるということを表しているようにも捉えられるからだ。アウトロのアコギとのセッションというか、縦横無尽に動くギターのメロディを、一定のリズムを刻み続けるベースがしっかりと支えている。この対比構造が心地よい。ライブでは、このギターの弾くメロディをTERUがハミングのように歌ってくれたら、素敵だろうな。そして、ベースはフレットレスベース。グランドピアノはマストで。画としても美しい。


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