ツインギターの非対称性

JUSTICE[from]GUILTY

GLAYのツインギター、TAKUROとHISASHIは、それぞれにギターの特性をもっているのだろう。技法のことはわからない。でも、それぞれが補完をし合って・・・という表現は的確ではないか。それぞれがいるからこそ引き出される味わいがあるような気がする。それぞれが個々でやったとしても、GLAYから生み出させるうねりのようなものは、出てこないのではないかと思う。
メンバーの中で同じ楽器をやっているのは2人しかいないし、ここにギターが加わるとしたら、TERUのアコギくらい(「デストピア」ではエレキ)。ギター同士で共鳴し合う交差点が、GLAYサウンドと言われるど真ん中なのだろう。
TAKUROは、ギタリスト<コンポーザーもしくはリーダーとしての世間イメージが強く、HISASHIの天才っぷりに常日頃敬意を示していたからこそ、ソロワークを始めたそうな。自身のギターを一段も二段も引き上げるための訓練としての意味もあるソロワーク。
これまでに何度も言ってきているが、20代で誰もが羨むような実績を作ってきた。地位も名誉もある。輝かしい記録のオンパレードで、記憶にも美しい。そんなバンドを引っ張るリーダーが、メンバーの才能にほだされて、改めてギターの特訓を始めるってどんな心境よ?謙虚さにもほどがあると呆れるほど、本人たちは常に音楽には真面目(直近のツアーでのHISASHIの自分に向けての一言は「真面目に不真面目」)。だから、楽曲そのものがピュア。「すごいだろう!」という鼻高々さがない。真剣に遊ぶ。

前置きが長くなったが、GLAYのツインギターがあまりにも非対称性であることの違和感はないというか、むしろそれがデフォルトになっている。特に、HISASHI楽曲の時。打ち込みで作ることも多いらしく、バンド演奏するときに、TAKUROが持つ手癖的なものをあえて封じることになったりするところもまた、面白いところだなんていうもんだから、GLAYは進化が止まらない。
そして「JUSTICE[from]GUILTY」は、HISASHIが作曲だがTAKUROが詞を書いている数少ない楽曲。HISASHIの楽曲にのると、TAKUROの詞もまたHISASHIワールドに引き込まれたように感じる不思議。
トピックスは、間奏におけるそれぞれのギター。ループ的なジャジャジャ、ジャジャジャというリズムに近い音の上を、木星の周りを不定期に回る衛星のようなキュイーンとした機械的な音が転がっていく感じがGLAYっぽさなのだが、リズム隊っぽいギターをHISASHIが、その上を転がるメロディラインをTAKUROが弾いているから、どっちがどっち?という状態に陥る。
そのあとのTERUの歌声の下から半音ずれているのではないか?といつも錯覚するような歪みのギターはHISASHIがぶっこむ。
この非対称だけではなく、自在にどちらのラインにも走り抜けていく各々のギターに惑わされながらも心地よい。
このツインギターが企てるGLAY楽曲は、阿吽の呼吸で展開できるだけの熟練性を持ちながらも、緻密に設計されて生み出されていく。この絶対的なれ安心感の上で、いくらでも遊べる無限の空間の広がり。
デビュー30年選手たちの可能性は広すぎて眩しい。


MVはちょっと「everKrack」っぽいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?