ここではない、どこかへ

ここではない、どこかへ

初めてフルで聴いたのは、それこそEXPO'99。すでに当時の記憶はかなり薄れてしまっているけれど、この楽曲の時の風の心地よさはなんとなく憶えている(余談だが、当時の記憶を残しておきたくて数ヶ月に渡って1日のことをまとめた記録を作ったのだが、誰かの目に触れることがあまりにも恥ずかしくていつかのタイミングで破棄したこと、後悔している。記録としては結構秀逸だったと我ながら思う)。
あのタイミングで、「ここではない、どこかへ」というタイトルのシングルを出すことは、ある意味での覚悟を外に対して発信しているということだろうか。だって、彼らにとってみたら、栄光はまさに「ここ」にあるのだろうに・・・。

正直、学生時代の自分にとっては、全体的に綺麗にまとまっている楽曲だなという印象でしなかった。それこそこ初めてライブで聴いた時は興奮して、なんなら少し泣くくらいはしただろうが、その後において、そこまで心を持っていかれることもなく、「いい曲だけど、刺激がもっとほしい」とか、「素敵な曲なんだけど、地味」という感じで、肯定の文言の後に逆説の接続詞がつくことの方が多い楽曲だった。今思うと、若さが故、刺激とかわかりやすいラブソングとかに傾倒していたのかなと。

ちゃんと聴いたら・・・なんて言い方はあまりにもおこがましいが、なんとも味わい深い楽曲である。
まず、わかりやすいところだと、歌詞。人気絶頂の20代のロックバンドのメインコンポーザーが書いた詞とは到底思えない。夢のど真ん中にいながらも、その栄光がずっと続くとは思っておらず、周りがさらなる先に期待を寄せる中でも冷静に、今が頂点であることを理解している。
爽やかなメロディラインであるがゆえに、なかなか歌詞内容の現実感が気になるのは、サビになってからだが、Aメロ冒頭から自身の置かれた状況について冷静に受け止めており、純粋なまま夢を追いかけることはもはやできないのではないかと、自分たちに言い聞かせているようにも思える。

どんな願いならば かなえられないと言うのか?
世の中でさえ信じてた頃
夢は無限にある その全てを疑いもせず
満たされていた 許されていた

ひとつひとつ仕組み(もの)を知れば 子供のままでは生きてゆけないと

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ただ、それを説教くさくならず、ちょっとした悲哀のある、問いかけるようなメッセージに変換しているのが、この爽やかなメロディとサビなキャッチーなフレーズ「ここではない、どこかへ」なのだと思う。
だからと言って、ひたすら爽やかだけではなく、イントロの涼しげな鍵盤の裏で、ピリッと効果的にベースが入ることで、楽曲に締まりというか、まとまりというかが生まれる。個人的には、非常に計算されたというか、緻密に洗練された楽曲のように感じられる。クレバーな楽曲だ。

この楽曲が20代でいわゆる「地位」も「金」も「名誉」も手に入れた人が作り、演奏されているのかと思うと、その冷静さにちょっとした怖さも感じる(本人たちは天狗になっていたなんていうけれど、その天狗さもきっとかかわいいもんだろう)。それが、リリースされてから四半世紀が経過した時点で、同じ楽曲を聴いた時の印象がここまで変わるとは。聴き応えのある楽曲とはこのようなものを指すのだろう。

自身も「ここではない、どこかへ」胸を焦がしながら、明日(日付的にはもう今日か。。。)からまた仕事に精を出そう。

そういえば、MVも観れば観るほど味わい深いな。

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