好きな理由が言語化できないもどかしさ

愁いのPrisoner

この楽曲がリリースされた時、相方と一緒に「TAKUROが本気出したね」なんて会話をしたことを思い出した。GLAYにとっては王道曲でありながらも、そこに純粋な新鮮さを感じた楽曲だ。

楽曲としては非常に好きだし、TERUの声が映える楽曲であることは疑いようのない事実なのだが、こんなにも好きな理由をうまく言語化できないもどかしさがある。初めて耳にした時から、「あっ、好き」と思い、その感情は揺るぎない事実として、リリースから5年たった今も不動なのだが、いかんせん好きな理由が判然としない。王道?確かに王道だけれど、「HOWEVER」や「誘惑」、「SOUL LOVE」のような明快さがない。同じようなジャンルだと、何に近しいのか?と考えても、しっくりとグルーピングできるような楽曲が思い当たらない。タイトルも「愁いのPrisoner」ときたもんだ。TAKUROの本気も感じられるし、王道曲と言えるのに、なぜこんなにも好きである事実がもやもやするのだろう。

MVを観ると、好きなのにもやもやする気持ちの一つが、なんとなく解明されるような気もしている。ベースとなりうる色を失った場所を歩くGLAYの周りには、見渡す限りの色彩のない景色。でもその色のない景色の中を黒い服を見にまとい歌うTERUの後ろ姿がなんとも自然で、溶け込んでいる。颯爽と広大な土地を歩くTAKUROは、その景観に劣らない存在感があり、HISASHIが放つオーラも、その景色の中では、トーンを落とした色に見える。JIROが鳴らすベースがその地を這うように基礎を築き、何もない場所で囚われの身となったとしても、彼らがもつ魂や音楽を奏でる能力までも捕えることなどできないことを体現している。その姿は勢いこそないものの、芯から湧き上がる矜持が見える。そういうものが、この楽曲には詰まっているように感じる。それこそが、「好き」の原点なのかもしれない。

間奏のギターの協奏が好きだ。基本、TAKUROのメインを次いでHISASHIがメインを張る間奏は、心の奥の方が燃えるような感覚に陥る。自身の中に眠るくすぶったものを一掃してくれるものすごい力がある。ただ、目には見えにくいため、心を鎮めて感じ取るしかない。能動的に音楽を掴みに行く感覚、その快感を教えてくれるのが、まさにこの「愁いのPrisoner」。
こういう楽曲は20代で書くことは難しいだろうし、仮にかけたとしても、それを歌いこなせる力量のある20代はそういないだろう。そして、この楽曲の言葉に表せない魅力にとりつかれるのもまた、20代ではないだろう。
どうしようもなくこの楽曲に魅了されている自分のこと、嫌いではない。

https://www.youtube.com/watch?v=XJ4GWN0mEqc

#GLAY #愁いのPrisoner #囚われの身 #色彩のない景観 #ツインギターに萌える

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